無縁社会 …2010年
                          




■始めに。
 以前に、若い母親が、自分の子供二人を餓死させるという事件が起こった。

 係累というものから、遮断されたような孤独な母親にとっては、子供を預けるという発想も生まれなかったようだ。

 最近の男女の結婚しない傾向をみても、まったく係累のない孤立した人間(老人)が増えていくのではないか。
 そういう不気味な無縁社会の到来の可能性がみえる。

 以下、新聞の記事を筆者が抜粋して紹介したい。




 2010/08/14(土)

 二〇〇五年の国勢調査によると、男性の生涯未婚率は15・96%だという。

 つまり、男性の七人に一人以上が一生独身を貫くというのである。

 女性は7・25%だから男性の半分くらいか。

 余計なお世話かもしれないが、こういう人たちの老後の面倒はだれがみるのだろう。

 亡くなれば、無縁仏となるのだろうか。

 そんなことを思わせる出来事、事件が相次ぐ。

 マンションなどで「ひとり誰にもみとられず」孤独死するお年寄りも激増した。

 いったい、この国で何が起きているのか。
 地域のコミュニティーが崩壊し、 人間関係が希薄化した。

 いわゆる無縁社会が出現したといってもいい。

 大阪市西区で遺体で見つかった幼い姉弟が不憫でならない。

 死体遺棄容疑で逮捕された母親(23)は供述している。

 「ご飯も水も与えなければ小さな子どもが生きていけないのはわかっていた」

 おなかをすかして待っている子どものことを考えたら放っておくことなんてできないはずではないか。

 少なくとも知り合いなり、親せきなりに頼んで預かってもらうこともできたはずだ。

 それともそんな人はいなかったか。

 どんなに世の中が変わっても、変わらないこと、変えてはいけないことがある。

 例えば、社会全体のお年寄りに対する敬愛と親の子どもに対する情愛である。

 二度と、無縁社会の地獄は見たくない。




■補足、感想など

 日本のムラ社会が崩壊したのは、昭和30年代〜昭和40年代であろう。
 
 核家族…とかいう言葉が新聞紙上にのったのは、昭和40年代であったような記憶がある。

 以後、夫婦だけで自分の子供を育てるという時代となった。それは田舎から都会へでてきたサラリーマンにとっては避けられない事だった。

 こうして核家族の中で、夫婦のみで育てられた子供達が父親、母親となる時代が今という時であろう。

 いや、当然、結婚というものに対する意識が時代とともに変化したことは理解している。

 ただ、夫婦という二人のみで、核家族の中で子供を育てる過程で、うまく愛情を伝えることができない…そんな家族もあったろうなぁと思う。

 まぁ、確かに無縁社会という言葉はドギツイかもしれない。

 でも、こういう係累の無い人達を、居住させるそれなりのマンションというようなものができる可能性があるなぁ、と感じた。(つまり、仕組みというか建物を工夫して、無縁さを補うという…)

 人間が死ぬとしても、完全に一人では死ねない。

 そこにどうしても他人の助けが必要だ。

 そのあたりを互いに補いあうような形、サービスが生まれてくるのかもしれない。