環境を守ることで生命・財産を失う…オーストラリア
                                               2009年5月




■はじめに。

 環境を維持しようと努力することで、返って生命を失う…というなんとも皮肉な事象がオーストラリアで起こっているようだ。

 環境を保護することは当然大事だが、その土地毎に、きめ細かく行わなければ失敗するという例であろう。

 ご紹介したい。





今年の2月7日前後に、オーストラリアのヴィクトリア州で大規模な山火事(ブッシュファイア)が 発生し、200人近くが死亡、約500人が重軽傷を負い、約2,000世帯が住まいを失うという惨事があった。

 あの時期は、大丈夫だったか?が挨拶代わりになっていた 。

 知り合いのオーストラリア人弁護士が吐きすてるように言った言葉が印象に残る。

 「バカなグリーニーたち(Greenies=環境保護主義者)の責任だよ。」

 次のようなことだった。

 好景気が続いたオーストラリアでは、不動産ブームがすすみ、ここ数年、郊外エリアの外環部での宅地造成がすすんだ。

 
以前からオーストラリアの内陸部に 住む人たちは山火事対策として家屋周辺の森林を伐採することで延焼予防を施し、雨季には 森林管理の目的で人工的に山火事を発生させ、枯れ草、枯れ木など燃えやすい燃焼材を 人為的に処分するのが通常だった。

 しかし都市計画を担当する地方政府が、森林愛護や、山火事による二酸化炭素排気への反対を主張する環境保護団体の圧力により、計画的伐採や人工的山火事による予防策を禁止した。

 あえて住居周囲の木々を伐採した人は、刑事犯として罰金刑を科せた。


 
それが今回の大惨事をきっかけに、 住民が蓄積してきた知恵と経験を無視し、感情論的なエコ政策を無理強いすることにより、災害被害の悪化を招いたとして、環境保護団体に非難が集中している。



■環境問題に関して啓示を与えてくれたのは、インタビュー・ビデオ。

 マイケル・クライトンさんが、アル・ゴア氏に代表される最近の「エコ」を批判している。

 クライトンさんが指摘しているのは、アル・ゴア氏などの活動により、環境保護運動が「倫理的」な問題として捉えられるようになり、あたかも宗教的/原理主義的論調がまかりとおり、そこから科学的な思考、合理的疑義や議論が排除されつつあるということに対する批判である。

 特に「圧倒的多数の科学者が同意している」という論法で、その主張を正当化することがいかに科学者として受け入れがたいか、というクライトンさんの見解は重要だ。

 確かに、従来はビジネス陣営が不当に有利であった環境保護問題において、より公正な議論を展開するためには、個人の「倫理的」価値観と感情にアピールすることにより大衆を動員することが、政治的に必要だったのかもしれない。

 しかしそれにより「科学」が犠牲になっている現状は非常に危うい 。

 日本人も、こうした「倫理的エコ」の教条主義的ゴリ押しと、それによる冷静な科学的問題分析の放棄が、オーストラリアの大惨事の背景となったことを、他山の石として記憶しておくべき。

 アル・ゴア氏ブランドの宗教/原理主義的エコが、日本では付和雷同的「気分エコ」としてまかり通っているようだから。

 オーストラリアのように200人が灼熱地獄の中で焼け死んだ後では手遅れなのですから。






感想、まとめなど

 環境保護という大義名分を得て、ごり押しすることで、「科学」というものが、どこかに押しやられてしまうということであろう。

 科学というものは、ドロくさく、こうアピールする力の弱いものだ。

 だからこそ、それを理解するためには教育を受けなければならない。

 対して、環境保護という大儀名分は、大声を出せばアピールできるという簡単さがある。

 現在の日本への捕鯨、原発の再稼働についての非難にも通じていよう。

 「科学」を軽視することによって、「現実」というものに逆襲されたという例であろう。

 事例はオーストラリアであるが、日本でも起こりえないとはいえない。

 
東日本大震災以後の、原発への恐怖を煽り、技術の確立もしていない風力、太陽光発電などへの急速な移行を声高に主張する人達もそれに近いのであろう。