減反政策見直し 


                         


□2008年の春、サブプライムローンの焦げ付きなどをきっかけに、世界の農産物市場に投機資金が流入し、小麦、お米などの価格が上昇した。

 この事態を受けて、日本政府が減反政策の見直しを発表した。




□まず、記事の切り抜きから。




 ⇒日本のお米には世界での価格競争力がない。
  日本の農家の規模でやっていて、アメリカとか大規模な面積で行なえるところ、また、  一年で○期作もできるところとは比較することもできない。


 日本の食糧自給率を向上させようという動きと重なって、どう舵取りをするか難しいところではある。



□まず、減反政策というものを Wikipedia で検索してみよう。

(げんたんせいさく)とは、日本における米の生産調整を行うための農業政策である。
 基本的には米の生産を抑制するための政策であり、具体的な方法として、米作農家に作付面積の削減を要求するため、「減反」の名が付いた。



§戦前

 戦前の日本における米の反収は、300kg/10a前後と現在の約半分であり、またしばしば凶作に見舞われていた。

 1933年には作況指数120を記録し、米の在庫が増加したことにより「減反」方針が打ち出された事があるが、翌年東北地方において、冷害から凶作・飢饉が発生したこと、以後は、戦時体制の突入や敗戦による植民地などからの米の移入途絶も相俟って、米の生産調整が行われることは無かった。



§戦後〜1960年代

 戦後は農地改革により自作農が大量に発生し、食糧管理法(食管法)によって米は政府が全量固定価格で買い上げること(政府米)となっていたため、農家は生活の安定が保証されたことから、意欲的に生産に取り組むようになった。

 また、肥料の投入や農業機械の導入などによる生産技術の向上から生産量が飛躍的に増加した。
 一方で、日本国民の食事の欧風化などに伴って、米の消費量は漸減したため、政府が過剰な在庫を抱えることとなった。

 もともと、買取価格よりも売渡価格が安い逆ザヤ制度であったことに加え、過剰となった在庫米を家畜の飼料などに処分した結果、歳入が不足し赤字が拡大した。


§1994年〜現在

 生産調整が強化され続ける一方で、転作奨励金に向けられる予算額は減少の一途をたどり、「転作奨励」という手法の限界感から、休耕田や耕作放棄の問題が顕在化し始めた。

 このような状況の中、食糧管理法が廃止されて食糧法が施行され、制度が下記の様に変更された。

* 政府の米買入れ目的は価格維持から備蓄に移行。これに伴い、買入れ数量は大幅に削減。
* 米の価格は原則市場取引により形成。

* 生産数量は原則生産者(実際は農業協同組合を中心とする生産者団体)が自主的に決定。 この際、転作する面積を配分する方法(ネガ配分)から、生産できる数量(生産目標数 量)を配分する方法に移行。

 なお、当面は国による配分も平行して行われ、生産者の自主的な生産調整に完全移行する時期は、2006年現在では未定である。



§側面的な影響

 減反政策の弊害として、日本の原風景が失われること、自然環境が変化し生態系に影響を与えること、伝統ある農業文化が失われることなどが挙げられる。

 補助金や関税によって市場価格から遊離した農業生産を奨励する保護政策の裏面として減反政策が存在する。
 これによる食料品の物価高、国税の浪費などが国民の家計に圧迫を加えていることが指摘されている。

 関税保護などを取り外せば、海外から安い穀物類が入荷するためこれらの作物の生産は一部の高級ブランドを残して壊滅すると予測されているが、一方で新鮮さが要点である野菜の栽培あるいは卵や牛乳などの酪農などの農業は生き残るであろうと予測されている。







まとめ、感想など

 減反政策を今日からやめます…というように簡単なものではなさそうだ。

 画像に示したようなたんぼの風景を残しつつ、お米がある程度の価格競争力をもつことができるだろうか。

 また、冒頭で触れたように、食料の自給率を上げておかねば、世界的な飢饉が起こった場合、国民の安全を確保できない。

 また、減反政策の見直しというものが、一過性のもので数年後には減反政策に戻るということであれば、混乱に拍車をかけよう。

 世界的な人口の増加傾向、炭酸ガス濃度が上昇することでの気象の振れが大きくなること(旱魃の次は暴雨というように)を考えると、国内での食料を確保するという方向へいかざるをえないのではないか。

 そのことは例えば、休耕田を水田に回復するというような動きとしてでてくるのではあるまいか。