■湯浅  …
醤油の発祥の地




 
















 
醤油は、日本独特の調味料であり、和歌山県湯浅町が、その発祥の地だといわれている。

 しかし、なぜ湯浅に醤油がうまれたのだろうか。その謎を解く鍵は、「みそ」であろう。

 鎌倉時代の1258年に、近くの由良町の西方寺に覚心…かくしん…(法灯国師)という中国帰りのお坊さまが招かれた、この時に、中国浙江省の径山寺…キンザンジ…でつくっていた「みそ」の製法を伝えたと言われる。

 その後湯浅に伝わって、名産(金山寺みそ…徳川吉宗が将軍になってから献上させ,のち、江戸中に広まった)になった。

 覚心というお坊さまは、禅僧で,臨済宗法灯(ほつとう)派の祖である。

 1235年に奈良・東大寺で受戒し,1249年に中国・宋へ渡って,径山の癡絶道冲(ちぜつどうちゆう)などの下で修行して得法し,1254年に日本に帰ってきた。

 そもそも、みそと醤油は、近縁のものであり、みそを造る途中で、ナニカの偶然に、染み出た液のウマサに気が付いて、醤油の製造法を見出したものらしい。 

 製造方法は、蒸した大豆と煎り砕いた小麦にたねこうじを混ぜ,それに塩水を混ぜて仕込み発酵熟成の約6ヵ月を経てできた"もろみ"をしぼって、生(き)醤油を作る。それを70〜80℃に加熱して,殺菌と香味添加を行い製品とする。

 また、江戸時代・享保年間に、浜口儀兵衛らが、下総の銚子にでかけてしょうゆ生産を手がけ,今日の銚子のしょうゆ生産(ヒゲタ、キッコーマンなど)の初めとなった。

 このような湯浅と銚子のつながりに、黒潮を使った人・物のルートが、当時、あったことが想像される。





□醤油の歴史は上記の通りだが、もう少し、アレコレ情報を集めたい。

 ウイキペディアから。



□醤油(しょうゆ)は、主に日本料理で使われる、大豆と小麦を原料とし、麹菌や酵母を利用した、塩味とうま味の強い汎用の液体発酵調味料である。


□醤油は日本で発展した調味料である。

 主原料は大豆、小麦、塩で、麹菌、乳酸菌、酵母による複雑な発酵過程を経て生成される。

 この過程で醤油はアルコールやバニリン等の香気成分による香り、大豆由来のアミノ酸によるうまみと、小麦由来の糖による甘みを持つ。

 なお、醤油の赤褐色の色調は、主にメイラード反応によるものである。

 食品素材に対して上からかけたり、少量を浸す「つけ・かけ」用途の他、煮物の味付けにしたり、汁やたれの味の基調にしたりと、利用範囲が広い。

□「しょうゆ」という語は15世紀ごろから用例が現れる。

 文明6年(1474年)成立の古辞書『文明本節用集』に、「漿醤」に「シヤウユ」と読み仮名が振られているのが文献上の初出である。

 漢字表記の「醤油」は和製漢語で、上記「漿醤」から約100年後の『多聞院日記』永禄11年(1568年)10月25日の条に初めて登場する。

 しかし『鹿苑日録』天文5年(1536年)6月27日条には「漿油」と表記されており、「シヤウユ」の漢字表記はこちらの方が古い可能性が高い。
 また、初期には「醤油」の「油」を漢音読みして「シヤウユウ」と発音されることもあった[1]。


 醤油は正油とも書く事がある。調味料を料理に用いる順番を表す語呂合わせの「さしすせそ」では、醤油は「せうゆ」として「せ」に割り当てられているが、歴史的仮名遣では「しやうゆ」と書くのが正しい。

 ただし「せうゆ」という仮名遣も、いわゆる許容仮名遣として広く行われていた。

 醤油の別名、したじは吸い物の下地の意から、むらさきの別名の語源は諸説あり、醤油の色から来た女房詞、または江戸時代に筑波山麓で醤油が多産されたことからとも言われる。

 英語では soy sauce といい、また大豆のことを soybean と呼ぶ。

 これらの語に含まれる soy(-) は、日本語「しょうゆ」がオランダ語(soja)経由で伝わったものである。


□醤油の起源
 醤油のルーツは醤(ひしお)であるとされている。

 醤は、広義には「食品の塩漬け」のことを指す。
 紀元前8世紀頃の「周礼」で、「醤」という漢字が初めて使われた。

 文献上で日本の「醤」の歴史をたどると、701年の「大宝律令」には、醤を扱う「主醤」という官職名が見える。

 また923年公布の「延喜式」には大豆3石から醤1石5斗が得られることが記されており、この時代、京都には醤を製造・販売する者がいたことが分かっている。

 また和名抄では、「醢」の項目にて「肉比志保」「之々比之保」(ししひしほ)についてふれており、「醤」の項目では豆を使って作る「豆醢」についても解説している。



□たまり醤油の誕生
 醤油は麹を用いて製造することが特徴である。

 500年頃の中国の『斉民要術』には、現代の日本の醤油に似た醤の製造法が記述されており、麹を用いた発酵食品は5 - 6世紀頃には中国などのアジア地域で製造されていたと考えられている。

 醤油の直接の起源は金山寺味噌という説があるが定かではない。

 伝承によれば13世紀頃、南宋鎮江(現中国江蘇省鎮江市)の径山寺で作られていた、刻んだ野菜を味噌につけ込む金山寺味噌の製法を、紀州(和歌山県)の由良興国寺の開祖法燈円明國師(ほうとうえんめいこくし)が日本に伝え、湯浅周辺で金山寺味噌作りが広まった。

 この味噌の溜(たまり)を調味料としたものが、現代につながるたまり醤油の原型とされる。
 ただし、この伝承を裏付ける史料は見つかっていない。

 なお、「たまり」の文献上の初出は1603年に刊行された『日葡辞書』で、同書には「Tamari. Miso(味噌)から取る、非常においしい液体で、食物の調理に用いられるもの」と記述されている。

 また、同書で「醤油」の別名とされている「スタテ(簀立)」が、1548年成立の古辞書『運歩色葉集』に「簀立 スタテ 味噌汁立簀取之也」と記されていることも、醤油の成立を考える上でともども注目される。



□17世紀の海外輸出

 醤油の貯蔵に使われた甕日本国外への醤油の輸出は1647年にオランダ東インド会社によって開始された。

 伝承によればルイ14世の宮廷料理でも使われたという。
 フランスでの日本産醤油に関する記述は、『百科全書』(1765年)に現れる。

 当時の記録によると腐敗防止のために、醤油を一旦沸騰させて陶器に詰めて歴青で密封したという。
 用いられたビンは「コンプラ瓶」と呼ばれた陶器の瓶であり、多数が現存する。