尾去沢(おさりざわ)  …日本の黄金伝説の源流のひとつ



□先日、機会があって尾去沢(おさりざわ)鉱山跡を訪ねた。

 住所だが、秋田県鹿角市尾去沢(かづのしおさりざわ)獅子沢13-5…となっている。

 住所だけだと分かりづらいので地図を示そう。



■全体から押さえてみる。 




■もう少し大縮尺の地図で示すと



 →上掲の地図の○に十字の部分が尾去沢鉱山跡輪で、奥羽山脈のど真ん中にあることが分かる。

 発見されたのが、8世紀、708年のことだと言う。
 
 →まず、この発見された時代からして、砂金を探し求めた結果だろうということは容易に想像が付く。

 奥羽地方と言う地域は、なにか平泉の藤原氏等を巡っても、不思議に黄金が豊富なというイメージがある。
 でも、単にイメージだけではなく本当に多くの黄金を産出した地域、国ではなかったのかと思える。


□はっきり分からないのだが、自然金は下の画像のようなものでは…。




 以下、乏しい知識ながらぼつぼつ、そのあたりを書いていきたい。
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□日本のことをジパングというのは、中国の南方地区での言葉で、日本国…ジィーパンクォと発音するからだ、ということを司馬さんが書かれていたと思う。

 そのジパングが黄金の国だとヨーロッパに伝えたのが、マルコポーロの東方見聞録である。

 13世紀頃の話だから荒唐無稽だと思われるかもしれないが、日本という国が世界の中から見て「黄金」の産出量が多い国だということは確かに言えるのではあるまいか。

 
□また、現在の北朝鮮の辺りに、中国の植民地?である楽浪郡というものがあった。

 Wikipediaで検索してみよう。

 
楽浪郡(らくろうぐん)
 前漢の武帝が前108年に朝鮮半島西部にあった衛氏朝鮮を滅ぼし,その地に楽浪郡を設置したのが始まりである。

 同時に真番・臨屯・玄菟の3郡も設置され、漢四郡と呼ばれる。 しかし前82年には真番・臨屯が廃止され,臨屯郡北部の7県は楽浪郡に併合された。玄菟郡も前75年には遼東に移転している。

 漢書地理志には楽浪郡は朝鮮県など25県を支配し、その戸数は6万2,812戸,口数は40万6,748人とする。郡東部の嶺東(日本海側)7県には軍事組織として東部都尉が置かれ、郡の南部には南部都尉が置かれていた


□BC2世紀におけるアジアの各国の勢力図を見てみよう。


 →前漢の版図が朝鮮半島のここまで及んでいることが分かる。

 →設置されたのが、BC2世紀だからマルコポーロの頃とは随分違うが、この楽浪郡というところは倭(日本の古名)と金の取引(当然、砂金となにかの物々交換ということだが…)をして随分豊かだったらしい。

 つまり、そんな頃から日本の黄金というものは有名だったのだ。

□その一つの原因が日本の鉱床のできかたにあると思える。
 それが熱水(ねっすい)鉱床と呼ばれるものである。
 
 
インターネットで検索すると、以下のような説明があった。

熱水鉱床

 海底火山活動のみられる中央海嶺(大洋の中央付近にみられる海底山脈)や火山性列島の周辺海域に、熱水鉱床が知られている。

 このような海底には、熱せられた高温水(数百度に達する)が、海底の割れ目を通して噴出している(図1)。

  噴出孔とその周辺には、熱水からの沈澱物が堆積して、スモーカーと呼ばれる煙突構造(5 mに達するものもある)やマウンド(小高い山)構造をつくる(図2)。

 これらの沈澱物には、しばしば有用金属(鉛、亜鉛、銅、銀、金など)を大量に含み、 陸上の金鉱よりも高い金含有量を示すものもある。



 

 ⇒上の説明で分かることは、

  1.火山性列島には多く見られるものであるらしい。(日本に金が多いという原因はここらあたりにあるのだろう)
  2.金とか銅とかを産出するということで、尾去沢でも最初は金山として、次には銅山として稼動された。

 →だから、尾去沢は特別大きな金山であったのだが、それほど大きくない鉱山が結構存在していたのではあるまいか。
 それらからの自然金が、砂金として川に流れこんでいたのだろう。




 →砂金で辞典を検索してみると、以下の文章があった。

[日本における採取と利用の歴史]  

 16世紀初期まで,日本の産金はおもに砂金採取によった。

 陸奥すなわち宮城県北部より岩手県南部にかけての砂金地帯をはじめ,下野,陸奥白河郡(産金地方はのち常陸へ編入),駿河,また平安時代末に佐渡でも採取した。

 砂金は河川流域その他の堆積地で砂土を水で流し,〈ねこだ〉にかけ採取する。中世後期には鉱石を石臼でひいて粉砂とし,淘汰することも行われ,近世にはこれは広く諸金山にみられた。

 また近世では,山根を掘り崩し,水流を導いて大規模に洗取した。

 中世以前,砂金は吹いて錬金ともし,ともに貴顕の間に贈答として用い,また日宋貿易の発展により重要輸出物となった。

 中世に砂金は禁裏や将軍への進献,社寺への奉幣布施に重用され,通例それに砂金臥を使用した。

 16世紀以後,山金製錬による産金が増大したが,砂金採取も盛んで,東北地方,佐渡西三川,駿河の安倍川および大井川上流など,また北海道松前で近世初期には盛大だった。



 →上記の記事にあるごとく、陸奥は砂金地帯であったのだ。


■下の画像は、尾去沢の狸(たぬき)掘りの跡…鉱脈を人一人が通れる大きさで掘り進めた跡





■蛇足

 □隠れキリシタン



 →なんでも、隠れ切支丹はこんな山奥まできていたらしい。
  16世紀から17世紀頃の話であるから、この尾去沢がどれほど山深い地域であったか想像がつこう。
  たぬき堀りという彫り方で金を取りながら、暗い洞窟の中で信仰をまもったということなのだが…。
 (それでも、なんども取締りはあったようだ)

  信仰というものは、ここまで人間に驚異的な力を与えることができるのか、という思いがする。