■宇治
  …天ヶ瀬、平等院



■山笑う(やまわらう)という言葉がある。

 新緑に覆われた山の姿を言う言葉だと思うのだが、新緑の木々は杉、桧のたぐい(あぁ、そもそも新緑とならないか)ではあるまい。

 どんぐりの生るような木とかナラ、クヌギ等…そんな木々の新緑を言い表しているようだ。
 また、あとで照葉樹林文化とか呼ばれる、艶々した葉っぱをもつ木々を形容しているものだろう。

 先日、京都宇治を訪れた。
 
 以下、画像をしめしながら、笑う山の姿とか、平安時代の建物などを見てみよう。
 

□まず、全体の把握のため宇治駅周辺の地図を示したい。



■山が笑っているところの画像を。



 でも、と思う。

 山笑うという言葉は、多分寒い地方の言葉だろうなぁ。
 雪に覆われた厳冬期をやっと抜け出した、というなにか喜びの感覚がある。

 やっと、新緑の季節になったのだ、いまから農業が始るぞ…そんな感触かなぁ。



■天ヶ瀬ダムを俯瞰する。 



⇒高低差は70mくらいか。 琵琶湖からの水を最初にせき止めたダムである。



□山ツツジが咲いていた。





□ヒメジョオン?だったか






□宇治といえば平等院。
 
 とりあえず、全体像を…


■平等院の歴史については、Wikipedia より抜粋する。

 平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

 山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来浄土宗と天台宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。

 本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は藤原頼通、開山(初代住職)は明尊である。



□平等院の創建

 京都南郊の宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。

 現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルとも言われる左大臣である嵯峨源氏の源融(みなもと・の・とおる)が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、関白藤原道長の別荘「宇治殿」となったものである。

 道長は万寿4年(1027年)没し、その子の関白藤原頼通は永承7年(1052年)、宇治殿を寺に改めた。

 これが平等院の始まりである。創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていたが、翌天喜元年(1053)には、西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立された。



□もう少し画像を。





■まとめ

 宇治の平等院界隈は、京都の観光地の南側地区の目玉であろう。

 京阪宇治線の宇治駅から平等院までは、門前町を形成している。

 歴史が充分な売り物になる時代がきた。

 お茶と藤の花と鳳凰堂か…

 この狭い範囲に、多くの売り物があるということだなぁ。そして、そのことはこの周辺の歴史の古さを物語っているのでもあるのだろう。