京都 高台寺…   
侘びさびの本質とはなにか



□京都、高台寺 界隈へ紅葉狩りにいった。
 上掲の画像は、高台寺への入り口付近の佇まいである。

 なに気ない…というか、どうということのない様子である。
 しかし、筆者は、こんな風景が日本人がたどり着いた「美的空間」なのだなぁ、と思った。

 石にせよ、樹木にせよ、地表のコケにせよ、お金がかかつているわけではない。
 
でも、そこには膨大な手間ヒマがかかっている。

 結局、日本はずーと貧しかったのだなぁ、と思う。
 お金があれば、トルコのトプカプ宮殿のように貴金属とか、宝石を集めるだろう。

 日本は国内で、きらびやかな宝石とかが取れるわけではない。
 珍しい樹木が生えているわけではない。

 そういう「きらびやかさ、派手さ」を得ることができなかった分、手間ヒマをかけて、佇まいを整えた。
 そして、そこに「美」を感じた。

 
侘びとかさび…というものは、貧しさを強調しているのではなく、今、そこにあるモノ、石だとか、コケだとか、木だとか…そんな身近にありふれたものに、「宝石などの装飾」の替わりに、溢れるほどの「手間ヒマ」をかけて達成しえた「美的空間」を意味しているのではあるまいか。

 貧しかったゆえといえなくもない。

 しかし、そのことはお金をかけなくても、ここまでたどり着けるのだなぁ…と祖先達が達しえたものに感慨を抱いた。