■城崎温泉
  …奈良時代からの温泉を楽しむ文化



先日、兵庫県の城崎温泉を訪れた。

 ここの旅館の一番古いところは、700年代、奈良時代に創建されたという。

 日本人のこういう温泉を楽しむ文化というものはどこからきたものだろうか。

 世界で温泉が涌く場所など、いくらでもある。しかし、プールのようにつかったり、湧出されるままというところも多い。

 しかし、日本では旅館というものを組み合わさり、温泉に入る⇒食事を楽しむ⇒風情を楽しむということがなされる。

 他の国とのこういう差は、どこらにその原因があるのだろうか。

 まぁ、こんなことを頭の隅に置きながら、兵庫県北部、豊岡市のあたりをみて回ろう。


□まず、城崎温泉周辺の地図を示そう。



□geogle earth で画像を拾ってみよう。





□温泉街の通りを俯瞰したもの…狭い谷状になっていることが分かる。




■Wikipedia から日本の温泉文化について、転記する。

 
日本は、火山性の温泉が多く、温泉地にまつわる伝説、神話の類も非常に多い。
 また、発見の古い温泉ではその利用の歴史もかなり古くから文献に残されている。

 文献としては日本書紀、続日本紀、万葉集、拾遺集などに禊の神事や天皇の温泉行幸などで使用されたとして玉造温泉、有馬温泉、道後温泉、白浜温泉、秋保温泉などの名が残されている。

 平安時代の延喜式神名帳には、温泉の神を祀る温泉神社等の社名が数社記載されている。

 江戸時代になると貝原益軒、後藤艮山、宇田川榕庵らにより温泉療法に関する著書や温泉図鑑といった案内図が刊行されるなどして、温泉は一般庶民にも親しまれるようになった。

 この時代は一般庶民が入浴する雑湯と幕吏、代官、藩主が入浴する殿様湯、かぎ湯が区別され、それぞれ「町人湯」「さむらい湯」などと呼ばれていた。

 各藩では湯役所を作り、湯奉行、湯別当などを置き、湯税を司った。

 一般庶民の風習としては正月の湯、寒湯治、花湯治、秋湯治など季節湯治を主とし、比較的決まった温泉地に毎年赴き、疲労回復と健康促進を図った。

 また、現代も残る「湯治風俗」が生まれたのも江戸時代で、砂湯、打たせ湯、蒸し湯、合せ湯など、いずれもそれぞれの温泉の特性を生かした湯治風俗が生まれた。

 明治時代になると温泉の科学的研究も次第に盛んになり、昭和以降は温泉医学及び分析化学の進歩によって温泉のもつ医療効果が実証され、温泉の利用者も広範囲に渡った。




■まとめ

 温泉を楽しむという感覚は珍しいものだろうか。

 ヨーロッパにいって温泉地を見ても、別にそう楽しそうではないしなぁ。

 台湾では日本の影響もあってか、楽しそうだ。

 日本が高温多湿ということが一つの理由かもしれない。しかし、それだけで説明がつかないのではないか。

 なにか、異民族からの本格的な攻撃を受けた経験がないことが、こういう裸でウロウロするという無防備な文化を育んだのではないか…そんな気がするのだがどうだろうか。






■蛇足…近くに日和山という景勝地がある。それらの画像を示したい。

□日和山





□円山川




 ⇒そういえば、円山川にサケが遡上するのだ…とかニュースで見た記憶があるのだが、どうだろか。