鎌倉  …関東での古都



五月初旬、神奈川県鎌倉市を訪れた。

 鎌倉は、関東圏における「京都」のような感じで、「古都」というイメージが残った都市だ。

 折りしも、連休中で人に溢れかえっていたが、散策して「関東の古都ぶり」を楽しんだ。



□鎌倉駅周辺の地図を示したい。



□少し、鎌倉市の概略を押さえたい。

 Wikipedia から抜粋。

 
横浜市の南西、藤沢市の東、逗子市の北西に位置し、南は相模湾に面している。

 三方が低い山で囲まれ海に面する地であり、古くは幕府が置かれた政治の中心地であった。
 ただし、旧腰越町や旧大船町など、所謂「三方を山に囲まれた鎌倉」の外側に位置する地域も市内に含まれる。

 地元では定義の曖昧な「湘南」という呼称より、歴史的に広く認知され、範囲もより限定される「鎌倉」の呼称を好む人が多い。

 なお、神奈川県の行政区分上も、鎌倉は藤沢や茅ヶ崎などの湘南地域には含まれず、横須賀や逗子などと同じ三浦半島のブロックに含まれている。

 鎌倉は地域内に多くの歴史遺跡を持つ「古都」であるが、室町時代中期以降に衰退したため「都市・鎌倉」としての歴史は連続していない。

 江戸時代後期には地域内の寺社が多くの参詣客を集めるようになるが、明治初期の段階でも鎌倉大仏(高徳院)や長谷観音を擁する長谷地区に都市的な集落が分布するのみで、現在の鎌倉市の中心市街地は形成されていなかった。

 明治初期、現鎌倉市域を含む鎌倉郡を管轄する郡役所は戸塚(現横浜市戸塚区)に置かれた。
 明治中期以降、保養・別荘地として、また観光地として改めて「都市・鎌倉」の発展を見たのである。

 したがって中世以来の都市景観というべきものは存在しない。



⇒現在、人口は17万人くらい。
 鎌倉時代には幕府がおかれた訳だが、期間が短く、京都のような都市としての景観を作ることはできなかったということだろう。





□もう少し画像を示したい。






□鎌倉では、下図のような崖というか、凸の部分によくぶっつかる。






□まとめ、感想など

 冒頭で、鎌倉は古都だと記述した。
 古都であることは確かだが、社寺とかが残っているだけで、町並みは明治以後のものであろう。

 住宅地を歩いてみると、そう古いものではないことが分かる。

 ただ、鎌倉を含めてこの周辺は地形として起伏が多い。
 恐らく、富士山辺りを起源とする火山灰が広く覆っていて、後の侵食作用で、固い部分が凸の部分として残り、柔らかい部分は平らな部分となったのでないだろうか。

 凸の部分は、樹木に覆われた緑地の部分として多く残っている。
 そのことが鎌倉という都市の住宅地の閑静さを促進している。
 
 現在、東京を中心とした一極集中が加速している。
 そして、都市への人口の集中は、東京から周辺への交通網を張りめぐらせる結果となる。

 鎌倉も東京から2時間くらいだろうか。

 住宅に隣接して12.13世紀の頃のお寺もあり、古都のイメージをもつ住宅地としてブランド化されてきたのでは…と思った。

 





□蛇足

 切り通し…というのは、こういう凝灰岩?の壁のようなものがアチコチにあるからだろうなぁ。
 地形が鎌倉という都市の情緒のようなものをつくっている。