伊勢神宮      …なぜ、この位置にあるのだろう



□まず、位置を確認しよう。


 


■もう、少し小縮尺の地図も掲げてみる。




□昔から、何故、この位置に神宮があるのか不思議だった。
 
 なぜ、なのだろう。
 
 そんな素朴な疑問をもちながら、あれこれ見てみよう。



□少し、画像を示したい。






□右へいけば五十鈴川。



 ⇒当日が雨で、写りが悪いようだ。



ウイキペディアから起源の部分を引き写す。

 『日本書紀』によれば、垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とある。

 皇女・倭姫命が天照大御神を鎮座する地を求め旅をしたと記されている。

 想像を豊かにすれば、倭国から丹波国、倭国、紀乃国、吉備国、倭国、大和国、伊賀国、淡海国、美濃国、尾張国、伊勢国の順に移動し、伊勢国内を移動した後、現在の五十鈴川の畔に斎宮(いつきのみや)五十鈴宮という名で鎮座したということになろう。

 内宮起源説話である。

 この話は崇神天皇6年の条から続いており、『古事記』には崇神記・垂仁記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。

 移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。

 なお、外宮は平安初期の『止湯気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)によれば、雄略22年7月に丹波(丹後)の比沼真奈井原(まないはら)から、伊勢山田原へ遷座したことが起源であると伝える。




 →日本という国の成立の中で、この伊勢という地はどういう意味をもっていたのだろう。