ベネチア   …世界最古の観光都市


ベネチア

 まず、辞典から概略を引き写して大まかに押さえてみよう。

 
イタリア北東部、ベネト州の州都、ベネチア県の県都で、アドリア海北岸に臨む港湾都市。

 英語名ベニスVenice。

 人口26万6181。ベネチア湾奥のベネト・ラグーン(潟湖(せきこ))に発達した砂州からなる122の小島が中心市街地の地盤であり、これらの島々は約400の橋で結ばれている。

 それらの橋の一つリアルト橋は、16世紀に木造橋を石組みに改造したもので、アーケードがついた形が美しく、観光名所となっている。

 市内には176の運河が縦横に走り、有名な大運河(カナル・グランデ)が市内を北西から南東にS字形に貫き、「水の都」「潟湖の都市」とよばれる世界屈指の観光都市となっている。

 1987年にベネチアとその潟は世界遺産の文化遺産として登録されている

 

■某雑誌にいかにもベニスだという画像があったので、載せておきたい。


■歴史

 
5〜7世紀、イタリア北部に侵入した西ゴート人、フン人、ランゴバルド人からの避難所として、アドリア海北辺のあちこちの潟地にアクィレイアなど北部諸都市の住民が移住し、先住の漁民とともにいくつかの都市的集落を形成した。

 混乱のなかで独立性を高めたこの諸集落は一種の連合体を形成し、697年には1人のドージェ(首長)をもった。

 塩・魚の販売や貿易で富を得たこの連合体の支配をめぐり、ビザンティン帝国とフランク王国とが対立した。

 8世紀末、後者の攻撃を受けたこの連合体は防衛のため首府をマラモッコからリアルトに移した。この潟中の小島とその周辺の無数の小島の上に形成・発展した都市がやがてベネチアとよばれた。

 810年のビザンティン、フランク、東西両国の条約で、ベネチアはビザンティン帝国に帰属するが、フランク王国との貿易権をもつこととなり、東西貿易の中心となる準備が整った。

 9、10世紀、ベネチアはアドリア海北辺の競争相手たる海港都市コマッキオを打倒し、また航路として重要なダルマチア沿岸に覇権を樹立した。

 11世紀、弱体化したビザンティン帝国の要請でアドリア海南辺の海上防衛を引き受けたベネチアは、代償として帝国内での広範な貿易特権を得た。

 同時に東地中海にも進出して各地のイスラム教徒と貿易していたが、十字軍がシリアに進出すると、十字軍への援助の代償としてそこでの貿易特権を得た。

 
⇒この頃に、マルコポーロがこの町から元の首都に向かって旅をしている。



 ベネチアは、こうした貿易で得た富と力を背景に、13〜16世紀の間、国際政治の場で重要な役割を果たした。

 だが17世紀には、イギリスなど北西ヨーロッパ諸国の地中海貿易への進出により、ベネチアは没落した。

 ついで、世界貿易の大動脈から外れて後進地域となってしまった地中海周辺の、自由かつ洗練された歓楽的な雰囲気で名高い一小国として18世紀を迎えた




■位置を確かめてみよう。 geogle map satelite から
  イタリアの北側付近の画像をみる。



●下の画像のほぼ中央にある島がベネチア。




□島全体の画像



□サンマルコ広場 を衛星からとったもの (上掲、全体画像の中央下側に位置する。)

 ⇒島全体が古い家屋に覆い尽くされていることが分かる。
  道はまるで迷路のようになっている。





□地上からの画像をいくつか示したい。
 もう、夕方だったので少し暗いか。⇒サンマルコ広場