■現在の教育について思う





 いま、教育についての議論が盛んだ。

 これからの子供たちの教育をどうすれば良いのだろうか。

 昭和30〜40年代頃の教育が知識に偏重したとの反省から,詰め込みすぎるな,一芸に秀でていればいい,競争をなくそう等として,教育・入試制度についての改革が、めまぐるしく実行された。

 このような姿勢の教育の結果として、目下、子育てをしている親たちが造り出され,彼らによって社会が構成され,新しい子供たちが育てられている。

 果たして、詰め込みすぎるなといった教育の成果として、知的好奇心を保ち続け,前進していこうという意志を持った親や大人が増えたのだろうか。

 子供たちの能力が、よりよく引き出されるようになったのだろうか。

 今、国家百年の計たる「教育」は、方向性をうしない失速しつつあるように見える。

 結果として、優秀な人材を生み出せなくなった日本は、大きな危機に立たされているのではないのだろうか。

 日本には資源などというものはなにもない。

 あるのは、人間だけなのだ。

 頭脳立国でしか生き延びることができないのだ…そういうことがかっての常識であった。

 新しい発想・考えを生み出すためには、どうしてもある幅の知識が必要である。

 それは、若い時に広い学科について勉強しなければ獲得できないものだと思う。

 過去の詰め込み教育に全面的に戻れとは言わない。

 しかし、ある分量の知識を詰めこまなければダメなのだということも確かだ。

 子供の頃、暗い林道で捕まえたオニヤンマが、掌(てのひら)の中で、不意に強い力で羽をバタつかせた−そんな感触…不思議さへの驚きと慄(おのの)き…そんなところからもう一度出発しなければ…と考える。