■日本人はどこからきたのか?


 

 
先日、ある会でM名誉教授のお話を伺う機会を得た。
 
 
M先生は「日本人はどこからきたのか」というテーマで、血液型(単純なABO型のみという議論ではなく、現在では血液型には多くのものがあり、精緻な理論が構築されている)というアプローチにより、バイカル湖畔のブリヤートモンゴル族との共通性から、シベリアのバイカル湖付近が日本人の元々住んでいた場所で、この辺りから移動してきたのだと結論づけられている。

(数十年前に発表され、当時、私も日経新聞でその記事を読んだ記憶がある)

 先生によれば、アイヌ人と沖縄に住む人達は、言わば、原日本人というべき人で、大きな意味で日本人に含まれ、古い日本人の形質をそのまま残しているのだという。

 それやこれやで日本人が南方から来たという説を真っ向から否定されている。

 さて、このような事柄について私自身は、もとより素人である。

 しかし、やまたい国がどこにあったかという議論にも似て、興味深いテーマであり面白そうだ。

 (どう説明しても問題にもならないし、議論が紛糾するほど、古代への興味をかき立てるだけであろうから…)

 そこで、このM先生の説(以下、M説と略)は、既にある知識とどうすり合わせることができるのだろうか。
 どうも、そこには多くの矛盾というか説明のつかない点がありそうだ。

 細かく言えばキリがないので、ここでは稲作技術と日本語の起源という2点で考えてみよう。


@稲作技術など

 切り口の一つとして、縄文人と弥生人という分け方がある。

 縄文人は弥生以前で狩猟や木の実を拾って生きていた、

 弥生人は紀元前4世紀頃から紀元3世紀にかけて、稲作という技術を獲得して稲を栽培して生きていたという違いである。

 さて、M説では、隣接する朝鮮民族はほぼ均質な民族であり、日本人とは異なる。

 だから、朝鮮民族が現在の場所に固定する以前に日本人は、移動してきて居住したのだという。
 
 すると、縄文人ないしそれ以前に相当する民族が、バイカル湖畔からはるかな昔(日本列島は大陸と陸続きであった)に移動し、北海道から沖縄まで住み着いたものだと言えそうだ。

 縄文と弥生を分けるものは稲作技術であるが、稲という植物は熱帯性のものであり、稲作技術そのものと一緒に、揚子江河口域より対馬海流に乗って南朝鮮を経由するかあるいは直接に北九州に伝わったという説が、最も有力である。
 
 言わば、文化の伝播者というべき稲作技術をもった渡来人がきて、中国・四国地方,近畿地方などの縄文人に技術を教え、初期の農耕文化を伝えたようだ。

 縄文人達は、その稲作技術をマネし習得することにより、弥生人へと変化したということであろう。

 M説を視野に入れて説明すれば、多数の大陸系弥生人が侵入してきて縄文人を追っ払ったということではなく、少数の農耕技術者の移住により、高い所から低いところへ水が流れるように周辺に稲作技術、金属器(鉄器など)、慣習(歌垣など)が伝播していったということを意味しているようだ。


A日本語の成り立ち

 日本語の起源については、以下の2つの説に分かれている。

ア)北方説 

 藤岡勝二氏は《日本語の位置》(1908)という講演の中で,語頭に r 音がこない,母音調和があるなど14項目につきアルタイ諸語(モンゴル諸語,チュルク諸語,ツングース諸語)と日本語の特徴が一致すると説明されている。

 またアイヌ語の金田一京助氏は,日本語が原始アルタイ語と遠い親族関係にあると述べている。

イ)南方説 

 村山七郎氏は《日本語の誕生》(1979)の中で南方系説を推進し,日本語は南島系の言語に北方のアルタイ系言語が混合したものであるという仮説を提起されている。

 いずれも確立した説とはなっていないが、ここでは大野晋氏の説を述べよう。

 大野先生の日本語の起源についての説は、縄文人はもともと南方系言語をしゃべっていた。
 
 弥生時代に南朝鮮から、大陸系弥生人が(彼らはアルタイ系言語と江南系言語の同化したものをしゃべっていた。

 …つまり、中国南部から稲作と一緒に南朝鮮にいったん伝わり、そこで北方ツングースに支配されて混成語となった)稲作文化と一緒に入ってきて、更に縄文人の言葉と混淆してできあがったものだという。



Bまとめ

 以上のように、稲作技術、日本語の起源についても南から(特に中国の揚子江の南側)から渡来人が移住してこなければ、話の辻褄があわないようだ。
 
 ポイントは、人数であろう。

 つまり、稲作技術の伝播、日本語の成立への影響というものが、原日本人の血液型を変えない程度の少人数の渡来でなされたのかということであろう。
 
 血液型を変えない程度の人数(数百人?)の技術者だけの移住で、これだけ大きな変化を与えることができたのだろうか。

 縄文人にとって、稲作などの先進技術をもった人は神のごとくに見えたであろう。

 だから、彼らのいう言葉も今の新興宗教の教祖がいったように感じられた筈で、その言葉を真似したことであろう。

 また、稲作技術を獲得することは、人口の増加などに大きく寄与し、そのことは母集団の数を圧倒的に大きくしたことであろう。

 それにより、渡来人達の血液型への撹乱の影響が薄まったと考えればよいのだろうか。

 このあたりの先進の技術に対する姿勢、技術習得のスピードなど、日本人の特性が少しずつ出来上がってきたのではないだろうか。