■鯉のぼり…  
五月の空に



■田舎の細い道を歩いていて、フト見上げると鯉ノボリが上がっていた。

 日本らしいお祝いの仕方だなぁ、と思う。

 子供の成長を願うということは、どこの国でも同じであろう。しかし、こういう風に誰にでも見えるような感じでのお祝いの仕方が外国でもあるだろうか。

 日本という国は、昔から子供を大切にしてきた、そんな国なのだなぁ。




■感想だけではなんなので、Wikipedia でコイノボリを検索してみよう。

以下抜粋。

□中国の正史の一つである後漢書による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜に成ることができたことに因んで鯉の滝登りが立身出世の象徴となった。
  
□「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し」と言われる様に、鯉幟は「幟」とは名づけられているものの形状は魚を模した吹流し形である。

 そもそも、鯉幟は門松や雛人形と同じく、江戸時代中期の裕福な庶民の家庭で始まった習慣であった。

 端午の節句には厄払いに菖蒲を用いることから、別名「菖蒲の節句」と呼ばれ、武家では菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となった。

 この日武士の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物(幟)を飾り、家長が子供達に訓示を垂れた。

 一方、大きな経済力を身につけながらも社会的には低く見られていた商人の家庭では、武士に対抗して豪華な武具の模造品を作らせ、幟の代わりに黄表紙の挿絵などを見ると五色の吹流しを美々しく飾るようになっている。

 さらに、吹流しを飾るだけでは芸がないと考えたのか一部の家庭で「竜門」の故事に因んで、吹流しに鯉の絵を描くようになった。

 現在の魚型の鯉幟は、さらにそこから派生したものである。





 
⇒さらに感想など

 なるほど、江戸時代の商人によって派手になったということか。
 日本のこんな習慣が鎖国していた時代に発生しているということが面白いなぁと思う。

 文化というものは、いろんな民族が刺激しあって生まれ、発展するという風に考えるものだが、日本の場合には必ずしもそうではない。

 ここでは武士と商人の対抗意識というものが一つの刺激剤となっている。

 日本の鎖国というものを、マイナス面から見るのではなく、もっとプラス面から見る必要があるのではあるまいか。