■示現流-立木打ち   
 外国人にはどう見えるのか




◇薩摩に示現流という流派がある。その流派の練習方法として、「立木打ち」というものがある。
 ユーチューブに載っているのだが、これに対して外国人の感想も掲載されていた。
 まぁ、日本でも「立木打ち」の練習方法を知っている人も少ないのかもしれない。
 この外国人の感想を読んで、日本人がその感想を述べている。

 武道とはなにか--という本質的な議論?になっているのかもしれない。
 その両方の感想を読んで、末尾に筆者の感想を述べたい。



■下の画像は、示現流特有の「蜻蛉の構え」






◇外国人の感想

日本の武術をとても期待して観に来たが。。。。これはこれで面白すぎ+28

・なに??w

・面白く見えるけど、彼らはとても真剣そう。腰をしっかり落として斬りつけている。

・いったい彼らは何をやっているんだ??

・・この掛け声はなに?

・・何の為の拍手なんだw

・今日は新しい日本の剣術を学んだ。

・本当は刀でやるんだよね??

・もし剣術師範と闘わないと行けなくなった場合、僕はこの剣術をつかうだろう。

・僕が思うに、これから束ねられた木の棒が襲いかかって来る。

・何が見えるかって、叫んでる変な人でしょ??

 僕はいま、困惑している。何が起こっているか、説明を!

・・これは、ストレス発散でしょ?

・卓越した剣術の世界。素晴らしく感動的。

・なにを観てるんだろう。。僕。

・誰が始めたんだw




上の外国人の感想を読んで、日本人が意見を述べている。
 ちょっと量が多いのだが、できるだけ載せてみよう。


本来は立ち木を打つんだよ。つっても、床から木が生えるわけないから、演武のためにこうやってるだけ。
 ただの枝じゃなくてウバメガシだよ。熱帯によくある水に沈む木で、日本じゃめずらしい部類だな。 備長炭の原料としてのほうが有名かもしれない。そこらへんの木刀と違って、真剣より重い。

・「相手より早く攻撃し相手の防御より強く攻撃すれば絶対に負けない」というシンプルな理論をマジでやっちゃった剣術。
 銃の戦いだったはずの西南戦争で政府軍に多大な犠牲を加えたため 政府側も旧士族をかき集めて警視庁抜刀隊が組織されるに至った。
 新撰組も恐れた


・示現流は真剣で斬り殺すことを念頭に置いてる実戦剣法なので、今の剣道とは稽古方法からして違う。


・新撰組が何より恐れたのが薩摩藩士の示現流。

・実はこれよりもっと大事な稽古は、ひたすら山道を走ることだったりする。
 とにかく猛烈に走る、戦場でものを言うのは機動力=スタミナだからってんで。

・この左右の上に高く刀をあげる構えを「蜻蛉」というんだが、「構え」というと実は構えとはちがう。
 構えは防御要素も含む言い方であって、自顕流に防御は無いから。

・猿叫だっけか 確かに何も知らん外国人が見たら不思議に見えるかもしれんが、声を出して気迫で相手を圧倒するなんて他の武術にも共通する考えだと思うが

・まあ当の藩主島津斉彬が示現流を見て言ってるからな 「まるで気が狂った輩の剣術だ」ってw


・あれだけ腰を落として体重を掛けられたら刀や槍で受けることができない。
 時代劇のように敵の上段からの斬り込みを刀で受けると受けた刀を押し下げられて斬られてしまう。  対人戦闘に特化した剣術になってるね。

>これは示現流なのか?
 東郷重位が開祖の「示現流」は宗家の道場に行かないと習得できない。
 主に薩摩藩の上級武士が修めた。
 動画のやつは薬丸兼陳が開祖の「薬丸自顕流」。
 これは下級武士がそのへんの広場で習得する剣法。

・立ち木を打つのは薩摩の御流儀である示現流
 薬丸自顕流は横木打ち。
 実際に切り結ぶ機会が多かった下級藩士に広まったのはこっちね
 腰の高さが全然違う


・漫画や小説でよく出る「トンボの構え」の示現流は、あれは御留流だから殿様とか上士が習っていた物で、西郷隆盛とかを始めとする一般の薩摩藩士は、皆この「野太刀自顕流」の方を習っていた。

・腰を深く落として腕を高く差し上げた状態から、駆け寄って全身の力を込めて袈裟に切り下ろす、シンプルな剣術。横たえた木の束を殴るのは、打ち下ろしの力を養うための物。
 朝夕何千回も打ち込む稽古を数年続けると、しまいに「一撃にて敵を三万地獄の果てまで打ち込む」という自顕流にふさわしい膂力が備わるそうな。

・実際、新撰組とかであの初太刀を刀で受け止めようとして、自分の刀の峰や鍔が顔面とか脳天にメリ込んで死んだ者がいたそうで、近藤勇が「飛んでも転がってもいいから、とにかく薩摩の奴らの初太刀は外せ」と訓示していたらしい。

・まぁ外人にとっちゃ実践的な剣術、武術の演武なんて踊ってるか奇声発してるキチガイにしかみえんだろうな。
 日本人ですら合気道やこの動画みたいな自顕流や示現流を初めて観たときそういう印象受ける人多いからな。

・金切り声あげてるのだって瞬間てきな力を出す時は息を止める。
 力を出し続けるためには息を吐き出し続けるっていう重いもの持ち上げる時や激しい運動したことある人ならわかる合理的な技術からきてるんだがなぁ 普通に声だすと息が続かなくなるから金切り声になる。
 実際の戦場じゃさぞ強かったんだろうと思うよ


・一刀でたたっ斬る、対人戦でもっとも怖い流派なんだけどね
 外人は演舞のようなエンターテイメントでしか剣術を理解出来ないから 滑稽に感じたんだろうね

・津本陽の薩南示現流とか読んでるやついないのか。
 本家示現流は初歩を学んだだけのやつでも幕末に佐幕派を切りまくって有名になったんだぞ。

[
・まあ薩摩さんは関ヶ原でも「捨てがまり」なんていう捨身戦法で絶望的状況を突破したからねぇ。
 それを知らない外人さんには、この鍛錬や剣術がどんな精神を持ってるのかわからんだろう。


・示現流と野太刀自顕流は違うよ。そもそも扱う武器が違うし。
 関係は深いし、読みも同じだから混乱しやすいけどね。
 ちなみに「ちぇすとー」って掛け声がフィクションで使われてるけど、実際は「ちぇー」だね。
 「ちぇすとー」は実際は「ちぇーと叫べ!」で指南役の言葉だったらしい。
 言われたことないけど。 やってみると合理的かつガムシャラに修練できるから面白いよ。


・これ、山野を駆け巡って横木集めるところから稽古なんだろ。
 体力重視。 鎧の上から打つみたいで、合戦仕様に思える。
 とにかく素肌剣法とは別もので、一概に嗤っていいものじゃない。


・朝鮮征伐の明側の記録に「日本兵は奇声を上げて一丈くらいの距離から瞬時に飛び込んできて斬りまくる」とかってのがあったでしょ あれは島津勢だったんだろうなぁ

・示現流の練習風景とかは実際に見ると初めは笑ってしまうのは仕方がない
 しかし、実際は相手を確実に仕留めるって観点の練習なんだよなあ、実戦で滅法強い訳だし


・生麦事件の実行犯は郷士出身だったらしいから自顕流だったのかな?
 あのときの英人の傷は凄まじかったとか

・示顕流は地味だが実践的。
 生麦事件の実行犯は薬丸示顕流。
 示現流というとトンボの構えとか、叩き下ろすイメージが 強いが、示顕流では低い姿勢で一歩踏み込みながら一気に下から上へ切上げる。
 生麦事件では下からの逆の唐竹割に なったと聞いた。


・まあ、見た目があれだから、
 大太刀で、鎧武者を鎧もろとも両断する事を目的に作られた流派で、幕末史に詳しい奴なら誰でも知ってる、幕末に一番活躍した剣術で、 その強烈な一撃太刀は、新撰組の近藤勇らも恐れた事で知られ、 銃弾飛び交う西南戦争ですら、自顕流は大活躍し、 日露戦争の英雄・海軍大将の東郷平八郎も、元・自顕流の剣士だったと知らなけりゃ、笑うのも仕方ないわな。

・生麦事件で馬上のイギリス人を一太刀で判別できないほどの肉の塊にしてしまった恐ろしい剣術というイメージがある
 本家の示顕流とは別物だけど本家の方も猿叫と一心不乱な打ちこみ方が強烈すぎて笑ってしまう

・とんでもない神風剣術だよ
 自分が生き残る防御も教えないから 短期間での取得が早い
 農民を簡単に敵の剣の達人と戦える道具にできる ようは自爆テロ要員
 これが示顕流の正体


・真剣の立ち会いでは、竹刀剣道のような振り回す剣法は役に立たない。
 一撃必殺の打ち込みと気迫で勝負が決まる。
 ひたすら気迫と一撃に鍛錬を極めるのが示現流だな。
 その効果は幕末の実践で証明されています。 
 重い真剣を、思いのままに振り下ろすための訓練です。
 殺し合いはきれい事では無いという、まあ野蛮人になれって剣法でもありますな。...とか思ってみる。


・東郷示現流と薬丸自顕流をごっちゃにしている人多いな。発音が同じ「じげん流」な上、もとは同じ流派で途中から宗家と分家に分かれたみたいなもんだから仕方が無いのかもしれんが。


 薬丸流の稽古方の横木打ちは横木を打つというより、その下の大地を両断するイメージで棒を振り下ろすんだってさ。
 横木の束はただそれを受け止める為にあるとかなんとか。
 そんな豪快な剣術だから、打ち込みを受けようとしても勢いが凄くて受け止めきれず、自分の刀のつばで自分の頭蓋を割られたり、刀ごと切り捨てられる者が幕末で続出したらしい。
 実際に、自分の腰より低い位置にある物を強く打ち付けるのってかなり難しい。
 助走ありだと特にムズい。棒を振り下ろす瞬間に自分の腰をしっかりと深く沈みこませないといけないからちょっとでも体勢が悪いと膝や腰にくる。
 ちなみに、新撰組局長の近藤勇が薩摩の「じげん流」に気をつけろと部下達に言ってたけども、それが薬丸自顕流の方。
 小説やドラマとかだと東郷の示現流のが有名だけれど、そっちは上級武士しか学べないのに対し、薬丸自顕流は大勢の下級武士が学んでたから、実戦に出ていた剣士は薬丸流の方が断然多かったのよ。


 一方、東郷示現流の稽古方の立木打ちは、地面に突き立てた人の背丈ぐらいの長さの丸太を、思いっきり叫びながらただひたすら右から左から棒で袈裟斬りしまくるというもの。
 剣を振る時は腕力まかせではなく、足腰や胴体部で力を発生させて振るという感覚を身体に覚えさせる為にする稽古。
 ひと気合、つまり思いっきり叫び始めてから叫び終わるまでに、丸太を30回は打つぐらいの速さが理想らしい。

 結論として、こんな二つの「じげん流」を生み出して修得していた薩摩の武士達は頭がイカレていると分かりますね♪


・薩摩の剣術は「一撃必殺」を重視してる。
 実践では手数より一撃で致命傷を負わす打突を与えると言う事。
 まぁ現代では昔の人程マッチョでも気迫も無いので滑稽に見えてしまうのだろう。

・自顕流と示現流はちがうぞ 根っこは一緒だけど木刀じゃなく木の棒使うのは、折れてしまうくらい激しく打ち込めって教えだからだよな 折れちゃうんだから消耗品使えってこと

・実戦でこそ強いだろ
 走っていった運動エネルギーを一撃に乗せる技術だし叫んでるのも実戦を想定してるから今でも軍隊は叫んでるだろ

・示現流。
 一人一殺の流派。肉を切らせて骨を断つを実践している剛剣術。
 枝の束は自分で集めて、それを切断するまでひたすら打ち込む。
 切断出来たらもっと束を太くする。
 刀が主流だった幕末に太刀での剣術は脅威。

・実戦だと時間も場所も決まってないからな
 真っ暗な夜だったら技術もくそもなく先に攻撃した方が勝つ
 まして奇声をあげながら突っ込んでこられたらもう逃げるしかない

・初太刀にすべてを賭けるってのがホントに潔いw
 実用一辺倒なのも良いし、何というか専修念仏みたいな印象。
 ひたすら単純な技を磨いて必殺技にするって発想が好きだな。
 示現流はもうちょっと精妙な剣術っぽさがあるけど、薬丸と野太刀は何が違うんだろ?

・まぁ力で叩き斬るってやつだな。
 常に硬いもので鍛える 実戦で一刀両断する為の練習だろ
 まぁ見る分には滑稽だろうがな
 今の時代実戦も糞も無いがw 続けて精進してる事は凄い事

・防御、捌きを一切考えずに、ただ、攻撃のみという信念でしょ。
 この変な声っていうのは、一瞬でいいから力を出し切るための呼吸でしょ。
 ボクシングとかシュシュって細かく呼吸するのは、スタミナをもたせるため。
 これは、一瞬で殺すことだけを考えるから、一瞬だけ力をだすにはこういう呼吸がいいってことでしょ。
 ぶっちゃけ、試合化した格闘技と、日常生活の中で人を殺す(又は自分を守る)ための護身や武道っていうのは、異なるものなんだよ。
 今風になったものの考えだとおかしく見えたりする。


・別名「薩摩の二の太刀要らず」
 「薩摩と出会ったら必ず初太刀は外せ〜」と新撰組隊長・近藤勇が隊士に徹底させたヤバイ剣術
 (〜示現流を刀で受けたら、刀ごと断ち切られるぞ!!、初太刀を外せば後は他の流派の方が勝ってる)
 誰よりも強く!誰よりも速く!電光石火の一撃で叩き切る!!を極めた「一人一殺」の剣術

 示現流の棒を知らない人が多いが、アレは只の木の棒切れじゃない
 高級炭で有名な”備長炭”の原料で貴重な原木で実際の太刀(真剣)より重く非常に硬い、そんな棒を練習で何本も圧し折る

 あの奇妙な掛け声は柔・剣道と同じで、人間本来の力「火事場の馬鹿力」を出す為の訓練
 普段の練習から掛け声・気合を入れる事により「自己暗示」が掛けられる様になり
 自分の身体を壊してしまう程の力のリミッターを解除できる様になる



・まぁ、古武術や古式剣術(殺人技が基本の奴)は”技の重要な部分”や奥義の部分はぎりぎりで見せないのが基本だからね…
 (そういう部分は非公開で、門弟以外には絶対に見せない)
 ボーっと見てると「中途半端なところ」で次の形に移っちゃうから「よく分からない演武」になる
(というかよく分からない演武にするのが目的だったりするので…)
 ちなみに野太刀自顕流は攻撃に特化して「一撃必殺で相手の攻撃を受けない」ことを追及しているが 示現流は「攻防一体の技」で、蜻蛉の構えから切り下した次の瞬間には元の構えに戻るほどの超高速の剣が基本攻撃にしろ防御にしろ一瞬で行い、すぐに構えから次の行動がとれるのが示現流の特徴


・近藤勇が恐れたように示現流は恐いよ。
 別に自分は死んだって相手さえ斬れば良いんだからねって思想だから。
 練習も滑稽に見えるけど、
自分はどうでも良くて相手をぶっ殺すってのに特化してるって剣道八段の先生が言ってた。


・古武道って別に人に見せつけるためのものじゃないし、むしろ、なるべく目立たないほうがいい
 目先の派手さ=剣の凄さとかカンチガイしてるヤツは、人寄せパンダな中国武術でも見てればいいと思うよ

海外の武道が何で踊りだけになってしまって発達しなかったのか良く分かる。
 本物の地味な様子を見て嘲笑し 偽者の跳んだりは寝たりするのを見て感心する。
 日本とは全く逆だ



・床まで叩くってすごい迫力。
 剣道を少しやっていたけど。竹刀でも重いよ。
 それなのに、木刀を見事に扱うなんて日頃の鍛錬がよく分かる。
 これ、戦ったら殺されるってすぐ分かるね。
 派手なことが好きな外国人は分からないでしょう。 これが美学ってもんですよ!


・薩摩に上陸したイギリス軍が コレに殺到されて片っ端から皆殺しになった事 知らんのだな・・


・生麦事件の記述が見られるが、奈良原に斬られたリチャードソンは馬から降りて、腹からはみ出した臓物を地面に引きずりながら、およそ3km歩いて息絶えた という記述があるよ。
 尚 生麦事件と寺田屋事件で活躍した奈良原兄弟は、共に薬丸自顕流の猛者で知られる。



◆筆者の感想

 
どのあたりから。
 高校の物理で運動エネルギーというものを習う。
 これは、 k=(1/2)mv~2 という式となる。
 この式はmという重さをもつ物体がvという速度で運動する時、その物体のもつ運動エネルギーを示している。

 この式をみて頂きたい。
 
速度が2倍になった時、2倍のエネルギーではなく、4倍のエネルギーになるということだ。
 ここに「立木打ち」の意味がある。

 つまり、木刀を振り下ろす「速度」が重要なのだ。振り下ろすスピードを最大限にしようとする練習方法と考えてよかろう。
 示現流でいう一の太刀という意味は、「最初の一撃に賭ける」という意味だ。
 防御はそもそも考えていない。最初の一撃にすべてを賭けて相手を叩ききるということなのだ。

 幕末の頃が、もっとも示現流という流派のもつ恐ろしさが明らかになった時代であろう。この示現流で肩から袈裟がけに斬られたものは、最早、人間の形をなしていなかったという。

 現在の「剣道」とも違う。おそらく相容れまい。
 日本の武道の原点のような流派だ。






■先日、鹿児島を訪ねた。
 立木撃ちの道具などを実際にみた感想を述べたい。

 






 上の画像は、立木撃ちの道具だ。
 実際に自分で棒をもってみると、重たい。
 竹刀よりかなり重たいものだろう。

 上の日本人の感想の中に、
農夫を即戦力としてつかうための手段だ--という趣旨の文章があったが、そのあたりだろう。

 考え方とすれば、長州藩の「奇兵隊」に似ている。しかし、奇兵隊には銃と刀を与えた。
 薩摩藩の場合は、
刀一本を与えて、敵に向かって猿叫(えんきょう)とともに必殺の一撃で切りかかってくる--ということなのだ。
 恐ろしい。まことに恐ろしい流派たと思える。

 草深い田舎だからこその流派だと思えるし、「人を殺す」という剣術の本来の形をそのまま留めた流派だと思える。

 また、外国人達の立木打ちについての感想が殆ど、核心をはずしていることに驚かされないか。
 なぜなのだろう。
 日本の剣道のような武道がないのだろうか。
 彼我の差は大きいなぁ。