一芸をもった人生を




 一芸があれば…という入学試験があった。

 入学試験はともかく、低成長の時代は、自分がよってたつ一芸がなければ生き延びていけそうもない。

 高度成長の頃は、あれもこれも出来るということが、人間の幅を示すとかで、英会話とか、ゴルフとか…する人が多かった。

 アレコレできることが自慢だった。
 
 これからは、多分、違う。

 あれもこれも出来ない。でも、これだけは出来る。

 …そんな時代にうつりつつあるような気がする。

 つまり、「職人」の時代がきたのだろう。

 一芸をもって、一生を貫く主題がある。
 
 日本では、遠く、戦国時代にも「日本一」と称する多くの職人だちがいたそうだ。

 刀鍛冶などまともなほうで、印鑑を彫るとか、傘を作るとか、壁を塗るとか…とにかくありとあらゆる事柄で「我こそ日本一」と称したという。

 …まるで、昔の「テレビチャンピオン」の世界だ。
 
 そのような伝統を考えると、一芸に人生を賭ける、偏屈な職人がこれからは一杯出てきそうだ。

 いまのイチローなんかもそのはしりの一人なのであろう。





□上記の「天下一」について、和鏡の職人からの説明があった。
 以下、転記したい。

--ここから--

 この柄鏡の様式は近世和鏡の主流となり,「天下一」をはじめ「天下一佐渡」「天下一但馬」など鏡師の名称も入れられるようになった。

 そもそもの始まりは,桃山時代,織田信長が手工芸者の生産意欲の高揚促進を目的として「天下一」の称号を許したことから,鏡に「天下一」の銘が施されるようになった という。

 やがて,江戸時代には鏡師のほとんどがこの銘をまねして使うようになった。

 天和二年(1682)に,「天下一」が使用禁止となって,それから「天下一」の代わりに,石見守,肥前守といった受領国名を使用するようになっていった。



--ここまで--


□感想、まとめなど

 江戸時代になって、色んな業種の職人がてんでに、「天下一」と称して、まとまりがつかなくなったのか。

 そこから、各国名を使用するようになった…ということか。

 しかし、「天下一」という銘をいれる職人の思いなんて、どうだったのかなぁ。

 →和鏡にいれた「天下一」を見てみよう。