■マンジュシャゲ(曼珠沙華)






 ヒガンバナ科ヒガンバナの別名で、秋の彼岸のころに群生して、鮮やかな赤い花をつけるヒガンバナ科の多年草のこと。

 鱗茎(球根)は、すりつぶして水にさらして毒抜きをすれば、食べられるので,縄文時代に食用にするため中国から持ちこまれて野生化したものラシイ。

 日本にあるのは三倍体で,種子はできないから人間が持ち歩いたものとしか考えられない。    
 花は、6枚の花被があり、茎は高さ30〜50cmで,葉はつかない。

 葉は、花のついた後に展開し,やや多肉質で長さ30〜50cm,幅6〜8mm,先端は円くなっており、翌春には枯れてしまう。

 地下には鱗茎があり、この鱗茎は寸断されたときの再生能力が高く,耕作地の近辺などに群生するのはこの性質のためラシイ。

 鱗茎は、多量のデンプンを含み食用となるが,毒性のあるアルカロイドも含むので,すりつぶした後,数回水洗してアルカロイドをとり除く必要がある。

 ヒガンバナ属は、東アジアに分布し約10種が知られている。いずれも花が美しく,観賞用に栽培される。

 先日、新聞に、マンジュシャゲは、稲作技術者達が稲作技術と一緒に中国南部から北九州へ持って渡ってきたのだろう(根拠として朝鮮半島に見当たらず、長崎県の五島列島、対馬には大きな自生地があることを挙げておられる)と推定されていた。


 こうして、この植物がはるかな昔(約二千五百年前)に、中国から丸木船?で運ばれてきたことを思うとマンジュシャゲの歴史というものを感じる。





□日本人と植物-前川文夫著 岩波新書-昭和52年

 上掲の本から、このマンジュシャゲという植物をなぜ、弥生人達はもちこんだのだろう--という疑問に答える段落があった。その部分を転記し、末尾に筆者の感想を述べたい。


--引用はじめ--

 
私はそれを、ヒガンバナの軟らかで粘り気のある葉を使って、タケやイモなどの根茎を長途の旅にしおれさせないために梱包する資材と理解した。
 南方熊楠翁が書かれたものに紀州ではミカングサの異名があり、これでミカンを包むと皮の色と味や香りをよくするのだとあるのをみた。

 他方、研究をされている山口隆俊さんは1959年に、これは鱗茎を救荒用に持参したのであると主張された。徳島県三好郡山城谷村の開墾地で、年来の一習慣として一老婆がヒガンバナの鱗茎を作付けしていた事実を挙げられた。
 なぜ植えているのですかの質問に、先祖代々植えているが何で植えるのかは知らないとの答えであったという。
 昔のように飢饉が頻発する頃には、鱗茎の澱粉は充分に代用食となったはずである。

 --うまい澱粉であった。日本のようにさらす水に事欠かぬところではたしかに有効な食品となる。

 --
日本への導入の主体は救荒用食用、副次的には生植物の運搬の梱包用もあったろうとしたい。

--引用おわり-- 



 弥生人達は、中国の南部で暮らしているときから、このヒガンバナを救荒用に植え続けるという習慣をもっていたのだろなぁ。
 それを日本へ渡ってからも同じ習慣をもち続けたということか。