■コウゾ


□2008年11月26日

コウゾの皮を天日干し 南砺・平地区

 
干し台に掛けられたコウゾの皮=南砺市東中江

 南砺市東中江(平)の和紙製造業、宮本さん方で二十五日、五箇山和紙の原料となるコウゾの皮の天日干しが始まった。

 宮本さん方では昔ながらの技法でコウゾの枝を蒸し、皮をはがして屋外で干している。

 この日は宮本さんの家族や近所の女性たちが、前日に枝からはがした皮を干し台に掛けた。

 二週間ほど乾燥させる。

 宮本さんは「今年から栽培地に電気柵を取り付けたので、カモシカによる被害もなく育ちがいい」と話していた。

 来年一月には「雪さらし」と呼ばれる五箇山地方伝統の技法で皮を漂白し、紙すきの作業に入る。




□まとめ、感想など

 和紙の材料だ。

 この耐久性のよい記憶媒体によって、日本の奈良時代以降の記録が伝えられてきた。



□和紙の歴史--を事典から転記したい。以下。

▲日本で初めて製紙の記事がみられるのは『日本書紀』巻22の推古天皇18年(610)のところで、「
春三月に高麗(こま)から曇徴(どんちょう)、法定(ほうてい)という2人の僧が来日したが、曇徴は中国古典に通じていたうえに、絵の具や紙、墨をつくる名人であり、また日本で初めて水力で臼を動かした」とある。

 この記事では曇徴が最初に紙を漉いたとは書いてなく、いわば正式の技術導入とも解される。

 事実、紙そのものは、外交文書や私用の土産品としてすでに古墳時代に中国から朝鮮半島を経て日本に伝えられており、したがって渡来人などの手によって、日本のどこかですでに製紙が行われていたとみられる。

 当時の紙は貴重品であり、中国からもたらされる紙は唐紙(とうし)とよばれて珍しい舶来品であった。

 日本で紙の需要が高まって国産が奨励されるようになったのは、国家体制が整って律令制が行われるようになってから。

 徴税のために7世紀の中ごろから戸籍がつくられ、また仏教が人心の安定のために布教され、文字による情報伝達の媒体として紙の需要が激増し、製紙は量的にも質的にも急速な進展をみた。

▲原料を有効に利用してじょうぶな紙を多量に生産するための合理的な方法として、奈良時代後期に、世界の製紙史上画期的な技法である「流し漉き」が生まれ、和紙を特色づけることになった。

 これは、各種の原料繊維のなかでもとくに日本特産の雁皮(がんぴ)類(ジンチョウゲ科)の繊維の粘質性が、斐紙の抄造中の特異な性格としてみいだされ、研究された結果であった。

 紙は都を離れた各地方の国府でも漉かれ、戸籍や計帳、宗教用などにあてられ、また原料とともに中央政府へも入貢された。

 奈良時代の紙に関する情報は『正倉院文書』に詳細にみられ、紙名は、原料、用途、染色などの加工法により230以上も数えられ、実物がそのまま現存している。



◇感想など

 
奈良時代の「紙」が現存しているという事実に驚かされる。
 現在の科学で種々の記録装置・記録する手段があるが、1000年を超えるほとの信頼性のあるものはない。

 その意味で、「和紙」は記録を残す手段として最優秀だと言っていいと思える。