■異民族というもの



始めに。

 先日、中国を旅行して、陸続きの国土で異民族というものに対する「恐怖心」のようなものをまざまざと感じた。

 このことは、歴史上で有名な事件からご紹介したほうがてっとりばやいだろう。

 モンゴル帝国というものが、チンギスハーンの台頭を契機に、ヨーロッパまでユーラシア大陸の過半を占める大帝国として存在したことは広く知られている。

 その建国の過程で、チンギスカーンの孫に当たる、フラグカーンが1258年にバグダードを攻撃して、アッバース朝ペルシアを崩壊させた。

 この史上、有名な事件など、陸続きの国土に住むということの恐ろしさをつくづく感じさせる。

 ある朝、地平線のかなたから、黒雲のごとく、異民族の軍隊が出現する。
 圧倒的な軍備と人数を備え、言葉さえ通じるかどうか…分からない。

 こうして、バクダードは、モンゴル軍により包囲され、最後には殺戮され、破壊された。

…ちょっと、説明がカンタンすぎるようだ。この攻撃について、本から書き写そう。

 フラグは1257年の末、この西アジア随一の都の郊外に到着した。

 モンゴル軍は完全に包囲し、攻撃の準備を整えると、翌年1月30日を期して総攻撃を開始した。

 カリフは猛攻に耐えかね、軍隊の総指揮官スレイマン・シャー及び副宰相エイベックをフラグの本営に遣わして和平を求め、ついでみずからも三人の子を伴って降伏した。

 モンゴル軍は七日間にわたって城内を略奪し、市民を殺戮しつづけたが、死屍の悪臭があまりにひどいので、2月20日に撤収し、その翌日アッバース朝最後のカリフ、モスタッシムとの太子を死刑に処し、ここにアッバース朝は滅亡した。





 
(上掲の絵は、モンゴルの騎馬兵 …もっている弓の射程距離が長いことが特徴だった)

□ここで、モンゴル兵の弓矢について説明したい。

 なぜなら、モンゴル兵の強さの秘密の一端は、射程距離にあったからだ。

 ▲まず、弓だが骨を削り薄い板のようにして、それを何枚も束ねたもので、自動車の板バネのようにしていた。射的距離は約200mを越えたという。

  →元寇のとき、日本の弓矢は100m程度しか飛ばず、近づく前に殺されてしまう。

 ▲矢については、毒をやじりに塗ったという。


 →つまり、鉄砲、大砲というものが出現するまでは最強の飛び道具だった。
  そして、鉄砲の普及により、モンゴル兵はその威力を失った。



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□先日、本を読んでいたら、このモンゴル兵がなぜ強かったのか…という説明が載っていた。
 書き写して、その特徴を把握したい。

 モンゴルの武力の優越性は、組織力にあった。

 騎馬戦闘の最大の利点は移動の速度、言い換えれば機動力にあった。

 その機動力を百%発揮するためには、全兵力が同一速度を持たなければならない。

 この原則からモンゴル兵はすべて同一兵種、つまり軽装備の騎兵であった。
 主兵器は矢による攻撃である。

 一般的な戦術は、優越した機動力によって敵軍にくらべて圧倒的な兵力を集中することで、兵力が劣っているときは急速に退避した。

 こういう戦術がチンギス・ハーンによって完成された結果、モンゴル騎兵は無比の威力を発揮するようになった。
…この戦術の革新性こそが強さのヒミツなのだ…

 また、重要な要素として補給の問題がある。

 遠征には騎馬兵一人につきウマ5〜6頭を伴った。馴らされたウマは荷物を積んで主人の後を追ってくる。

 予備の弓矢や衣服、食料を積むこともできるし、いよいよ食料が欠乏してきたら、ウマの肉を食べる。

 皮は衣服、鎧、綱、弓の弦などにも使えるし、水袋や河を渡るための浮き袋にも利用できる。

 骨はやじりにもなる。モンゴル人はウマの血でさえ、水の代わりに飲んだという。
 


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 この事件はたまたま、殺戮された人数も多く、歴史上に記録された訳だが、記録されないこういう事件が多々あったに違いない。

 どうも、日本人は筆者を含めて、こういう異民族に対する心底からの恐怖心がどうも理解できないところがある。

 それは、日本の戦国時代だと言っても、なんとか言葉が通じ、敵に塩を送る…というようなどこか感情の通じる部分があるからだ。

 ことばが通じない、「助けてくれ」といってもその意味が分からない民族に襲われることの恐怖心は、たとえようない。

 ヨーロッパとかにいっても、都市を取り囲んで、巨大な城壁が築かれていたことが紹介される。

 いまは、その城壁をとりこわして、なん車線もの環状線となっているとか言われる。

 
国旗の一部の赤い部分の入っている国が多いが、血で血を洗う戦いの結果、今の国土に平和に住めるんだ…という民族としての達成感のようなものを表しているのだろう。


  ※上掲の写真は、万里の長城






□2008.10月

 ギンギスハーンのお墓を探そうという計画がもちあがったようだ。

 新聞から。

 
米カリフォルニア大学サンディエゴ校の専門家チームが、いまだ見つかっていないモンゴル帝国の初代皇帝であるチンギス・カンの墓の探査を計画している。

 記事によると、この計画は専門家8人による探査チームが、3年かけてチンギス・カンの墓を探す。

 発掘はせず、地中レーダーや電磁誘導、磁気探査などの方法を用いるという。

 最終的に精密な立体図を完成させたいとしており、モンゴル政府との共同探査も求めている。

 同大では、有力な候補地としてチンギス・カンの誕生地とされるオノン川付近を挙げているほか、近くには他の家族の墓も点在している可能性も高いと見ている。

 チンギス・カンの墓の場所については諸説あるが、いまだ特定されていない。

 現地では、英雄の墓の発掘に不満の声が多いという



□チンギスカンの像の写真を掲げたい。




□筆者の感想、まとめなど

 う〜ん…と思う。

 このユーラシア大陸を縦横に荒らしまわった英雄は、自分の墓を分からなくした。

 死後に、子孫達へ影響を及ぼすことを恐れたのだろう。また、異民族から平安を侵されることを嫌がったのだろう。

 中国人とは感覚が違う。副葬品などもそんなにはあるまい。

 墓は本人の希望通り、中央アジアの草原のどこか…ではいけないのか。