■日本は第二次大戦でなぜ負けたのか?



■はじめに。

 
日本は先の大戦でなぜ負けたのだろうか。

 戦後、60年という時間を経過して、やっと真正面から敗戦の理由を直視できるところまで来た…という感じがする。

 因みに筆者は、団塊の世代である。
 それ故に、戦争というものを直接体験していない。

 だから、戦争というものを突き放してみることができるし、必要以上に感情移入しない…ということもあるかもしれない。

 bという総合誌に、「日本破れたり」…という記事が載っていて、冷静に日本の敗戦を直視している。

 関係者が殆ど物故している…という状況が大きいのであろうが…。

 同記事の中から、筆者の気になった部分を抜書きし、戦争に勝ったこと、負けたことも、日本人というものの性格というか、国民性が色濃くでていることを確認したい。



□以下、同記事から抜書き。 なお、赤線部分は筆者による。



◆前線の兵士だった人に、「なんであんなに懸命に戦ったのですか」と質問すると、こう答える人がいるんです。

 「
日本は一度、こういう無理な戦争をくぐり抜けなければ仕方のない運命なんだ。それを私たちの世代が引き受けているんだ…と理解していました」と。

 
次の世代にこんな戦争をしてほしくないから、自分たちがやるしかない、と思ったというですね。
 …中略…

 「戦場で仲間どうしでこういう話をしましたよ」と言いますね。

 
→文中の次の世代とは、筆者の世代となる。
  お蔭様で、一生戦争とは縁のない人生をおくることになろう。

 確かに、合理的に考えれば勝てる見こみもない戦争であった。じゃ、負けると分かっていたら、立たないのか? そこに止むに止まれぬ理由、憤慨というようなものがあったのだろう。 →このあたりから、コーカソイドとモンゴロイドの文明の衝突という様相を帯びてくる。



◆ところが、対米英戦がはじまると、下士官や兵士の層ではぴたりと不祥事がなくなる。
 この違いは、戦争目的にあるのではないか。

 対米英戦は、「自存自衛」の戦いだと国民の末端まではっきりと理解できた。
ここで負けると日本という国はおしまいだぞ…と思ったからこそ、あの一糸乱れぬすごいエネルギーが溢れ出たのではないでしょうか。

 
→確かに、日本人の性癖として論理を突き詰めることに弱いとか、情緒的だとか…ある。
 しかし、記事にあるごとく「ここで負ければおしまいなのだ」…という意識が国の隅々までいきわたっていた…ということを押さえておかなければ、他のことを見誤ってしまう気がする。


日本近代史の最大の問題は、中国人も含めあらゆる勢力から、日本の力を正しく評価されたためしがないことです。

 対米英戦だけでなく、戦後の高度成長や、日露戦争もそうですね。

 どうしてかというと、彼等の問題でもあるけれど、われわれが等身大の能力や姿を発信できていないからでしょう。



◆どうも、日本人はじっくり腰をすえて守るのが苦手なんですね。最前線に出ていないと守りきれないと思って、前へ前へと出てしまう。

 軍事的にいうと「攻勢の限界点」を越えています。
 その失敗を弁えることが、あの戦争の最大の教訓だと思います。



◆攻勢の限界点については、陸軍の勉強会でおずいぶん研究していたようです。…略…

 でも、現実の作戦ではまったく考慮されていない。

 これは日本型組織の問題なのかもしれませんが、
本音はいわないままで、お互い少しずつ目標値をあげていくうちに、いよいよ収拾がつかなくなる。虚構が肥大化する、という癖があるように思います。



 →イギリスに在住する日本女性のブログを読んでいると、「日本人の男性は謙虚だから…」という言葉が出てくる。

 イギリス人の男性より、日本人の男性…例えばたそがれ清兵衛…のような感じの人のほうが付き合いやすい…という言葉が続く。

 上掲の日本人の等身大の能力、姿を発信するにしても、この謙虚さが裏目にでる…ということがありそうだ。
 
 しかし、これは良い悪いということではなく、致し方のないことではあるまいか。
 
 そういえば、10年くらい前か、ある外国人女性が日本には「マンガしか外へ出すものがあるまい」…と軽侮した感じで外国人による弁論大会で話していたことを思い出した。

 しかし、現在は外国でも日本のマンガ、アニメは大流行している。

 この女性にモノの価値をみる目がない…ということではあるまい。

 外国のモノの価値が分かるためには、人種偏見とかいうメガネをとりさり、「慣れる」ための時間が必要だということではあるまいか。

 先の大戦前では厚い人種偏見というものが、外国人からの目を曇らせていたのだろう。



日本が、「アジアの植民地解放」を唱えたのは、もちろん開戦後の後づけなんですが、しかし、日本軍が必死に物狂いで戦ったために、中国とイギリスの間、あるいは英米間に植民地の独立をめぐる軋轢がおきて、事態が変わったのも事実です。

 日本軍の必死さは、「自存自衛」から生まれておりましたが、結果として世界地図を変えた。


◆日本には、勝利を信じている人はいても、国家戦略を考える人がいなかった。

 昭和18年の11月に大東亜会議を開催して、「アジアの解放」を決議し、日本の国策としたにもかかわらず、口でいうだけで、戦略はともなわなかった。

 大体アジア各地で宣撫工作程度のことしかしていません。



◆でも、実際のところ、牟田口司令官はインドの独立はどうでもよくて、自分の勲章ほしさでインパール作戦にのりだしたんです。

 東條英機は、チャンドラボースへの義理で、誰もが反対する作戦を許可したという。
 …中略…
 東條がお風呂に入っているときに外からひたすら頼まれて、のぼせちゃったのか、思わずインパール作戦を許可する…と。

 
→このあたりから、日本人の弱点が露呈してくる。
  論理の詰めかたが甘い、情緒に流される、失敗した時どうするか…という反対側からのアプローチが弱い。

 現在でも、バブル期に計画した建物などを見ていると、同じ失敗をしていることが分かる。
 日本人は、失敗を本当の反省材料にすることが苦手だということが理解できる。



◆特攻…というかたちで日本の精神力の最大限を示したことは、否応なしに、現在にも影響を及ぼしている。
 ある意味で特攻が戦後日本の安全保障上の抑止力になったのは事実ですから。


ひとつの民族が歴史の記録に残る愛国心と抵抗を示したことは、戦争の勝敗を超えて世界史に残る。それが戦後日本の隠れた抑止力になっているんです。

 毛沢東もスターリンも金日成も、「神風特攻」を知っている世代ですから、冷戦期も日本には下手に手をだせないと思っていた。
 
 戦後のアメリカも、自分達の軍事力にタダのりしながら反抗する日本に対して、「寝た子を起こすな」と考えて日本の主張を呑んだ…略…


◆ヨーロッパに留学していたとき、ギリシャ人とトルコ人の同級生がやってきては、「
おかしい。お前が日本人ならもっときびきび行動する筈なのに、怠惰な日本人がいるのは発見だ」と。

 日本人のイメージは、圧倒的に大戦中の「特攻」であり、「サムライ日本」なんですね。これは大きな抑止力だ、と。


◆ドイツにも特攻があったのか…調べたことがある。
 中略…
 優秀な青年には特攻を禁じたという。なぜかといえば、戦後に備えるためです。敗戦まぎわの戦争よりも、その後のドイツの興隆を考えている。ほかにもドイツの情報機関は、膨大なソ連資料を保存して、戦後、アメリカとの取引材料にしています。

 日本でこうした戦後の国家経営を考えていた層はあるのか。
 全体として日本には、日々特攻に送り出される青年を見ながら、戦後に英才を残し、取引材料をつくるという思想はなかったのです。


 
→どこらあたりに核心があるのだろう。

 精神主義と言ってしまえばそれだけだが、筆者はそこに「一所懸命」という言葉を感じてしまう。 自分の身の回りだけでも守りたい、自分に責任のあるこの一箇所を守りたい…という思いが突き詰めればこのあたりに行き着いてしまうのかなぁ…と感ずるのだが。

 そして、それは一種の視野狭窄であろうから、必然的に国家として…というところまで視野が広がらないということではないか。




◆戦艦大和は「世界一」と称されますが、技術的に突出したところはそんなに多くないんです。

…中略… 

 あまりに先端的な技術を投入して失敗すると、損失が取り戻せない。だから設計は8割主義で、無理せずつくっています。

 大和は、ヨーロッパの戦艦の歴史の結論部分だけを切り取って輸入したようなものなのです。

 巨大戦艦の図面だけなら他の国でも引ける。

 しかし、日本には、それを図面どおりに作り上げられる巨大な施設と、高度な技術をもった職人がたくさんいた。それが大和のすごいところなんです。



◆それにしても、ちょっと前までチョンマゲつけていた民族が、五十年たたないうちに、これだけの戦艦をつくるのですからねえ。技術の導入からいうと、ありえないほどの急角度の成長です。


◆零戦にしても、わずかの期間で、抜群の航続距離と戦闘能力を誇る飛行機を造れるようになった。アジアの国で自前で航空エンジンを製造できるようになったのは結局日本だけです。

 なぜ、それが可能になったのか。やはり、兵隊の戦闘力の高さと同じで、日本の組織は、末端の力が素晴らしいんです。そして
末端の兵隊や技術者であっても、特殊な技能をもぅた人は評価され、尊敬される。それは江戸時代の職人からの伝統かもしれませんね。


◆日本の組織のよさであり、弱点にもなっているのは、属人的な能力に頼りすぎていることですね。
 優秀な兵隊や、修練をつんだ職人、そういう名人芸には代わりが見つからないでしょう。

 大ベテランでなく、まったくの素人を使って効率を上げて、成果を出すシステムを作るという発想も試みもしなかったように思います。


◆アメリカ人は逆に、ちょっといい加減な人、能力が落ちる人が混ざっても機能するようなシステムを考える。


 
筆者→日本人のもつ能力が、良い面にも悪い面にもでてくる…ということが分かる。
 でも、これは良い悪いの問題ではなく、あるシチュエーションで適・不適があると考えるべきなのだろう。

 日本の身の丈の範囲なら、抜群の強さを示す…ということであろう。



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<総論はこれくらいにして、各論に入ろう>

■対米戦争の目的はなんだったのか。

◆二十世紀の大きな流れの中で対米戦争を捉える必要があると思います。

 昭和初期の世界経済は、十九世紀依頼ずっとイギリスが主導してきたグローバルな自由貿易体制が第一次大戦によって機能しなくなり、各国が、自国の経済圏を守ろうとするブロック経済にむかっていました。

 昭和6年の満州事変は、こうした状況下でイギリスやフランスのような植民地をもたない日本が生き抜くための一つの方策でした。


 南満州鉄道を機軸として満州国を整備することが、昭和不況の克服へとダイレクトに繋がったのです。

 ところが、日本は蒋介石政権下の中国を低く見積もり、盧溝橋事件を機に泥沼の対中戦争へと進んでしまいます。

 この支那事変を収拾するための最後の手段として浮上した選択肢の一つが対米開戦だったと考えるべきでしょう。
 …略…
 つまりは、日中で、経済圏をつくるためには英米を討たねばならない。


◆他の視点からは。
 
日中戦争を「中国の民族主義と、中国の民族主義を利用しこれと提携した西欧帝国主義の二つを日本の軍事力で倒すため」の戦いだったととらえていた。

 1930年代、40年代に世界経済が縮小していく中での中国の欧米追随は、東アジアを救済する原理にはなれない…この考えのもと、武力で中国国民政府の対日政策を改めさせようというのが彼らの発想だった。


 しかし、その考えがアメリカの意思を見誤る原因となってしまった。
 ⇒あの戦争の随所で日本は「希望的観測」に頼って失敗しました。アメリカの出方を見誤ったのもその一つです。


 
筆者→日本人のもつ弱点が露呈している。判断が情緒的というか、どこか他人の誠意のようなものに甘えてしまう…というところがある。
 つまり、異民族というものに辛い目の会わされたことがない…という弱点というか、幸運な点に判断の目が曇らされるということだろう。



 例えとして、去年の選挙で「まさか小泉さんは解散しないだろう」と考えていた造反議員と共通する甘さだろう…と。



■戦争をどのように終結する、と考えていたのか。

 昭和16年11月15日大本営政府連絡会議で「いかに戦争を終結するか」につき議論している。
 そこでは

 1.初期作戦が成功し、自給の道を確保し長期戦のめどが立ったとき。
 2.蒋介石が屈服したとき。
 3.独ソ戦がトイツの勝利で終わったとき。
 4.ドイツのイギリス上陸が成功してイギリスが和を乞うたとき。

 が挙げられている。しかし、中二つはドイツが勝てばという他力本願であった。



■なぜ、ヒトラーと同盟を結んだのか。

 昭和15年9月27日、日本はドイツ、イタリアとの三国同盟を締結する。
 その背景はなんだろうか。

◆当時の日本の状況
 支那事変の開始いらい3年、解決の見込みがつかない。そこで昭和14年9月に始まった
欧州大戦を中国の泥沼から足を抜くチャンスととらえていた。
  
 そこへ、昭和15年5月10日、欧州戦線でヒトラー率いるナチス・ドイツ軍が「西武大攻勢」に乗り出した。2週間あまりでダンケルクの港まで追い詰め、4週間にしてパリを無血占領してしまう。

 この
ドイツの戦いぶりの印象があまりに鮮烈で、日本のエリートたちはこれに大きく幻惑され「これで世界史がかわる。トイツの勝ち馬に乗ろう」という意識を抱いた。

 しかし、3月後、9月15日にはドイツ空軍はロンドン上空で叩きのめされる。しかし、この時、日本はすでに三国同盟締結を決定していた。

 →つまり、日本は(ドイツの)
短期的戦況を「長期的な世界情勢である」と勘違いをした。


□当時、日本の軍部は支那事変が長引いているのは、イギリスとアメリカが蒋介石を支援しているためだ…と説明していた。

 自分たちが弱いせいではない、米英が悪いんだ、と矛先を向けた。 

 →日本の世論は反英米となり、欧州でイギリスを戦っているトイツと組むべしという空気となった。

 →昭和15年、石油確保のためオランダ領インドシナと経済交渉を始める。
 しかし、
ドイツがオランダを占領しているわけで、交渉の要因としてドイツが登場する。 

 →日本は手詰まり状況で、日米開戦にむすびつくと分かっていながらも、ドイツと手を組まざるを得なかった。



■では、反対にドイツはなぜ日本と組んだのだろうか。

 →ドイツの電撃戦によって敗北した
西欧諸国が東南アジアに持っていた植民地をどうするのか、という危機感がまずは日本をドイツに接近させた。

 →ドイツも、すぐには東西両戦線のニ正面作戦に陥るとは考えず、西部戦線の短期決戦で終結できると信じていた側面がある。

 →ドイツには、イギリスを背後から、つまりアジアで攻撃するのに日本を使うという目的があった。
 もうひとつ、「
日本を使ってソ連を挟み撃ちにする」という大戦力があった。
 つまり、自分たちが西から攻めるから、東からアジアが攻めて欲しい。 …ドイツにとってそれ以外に日本の価値はなかったわけ。



■日独伊ソ四国協定という幻(まぼろし)

 昭和15年の秋、三国同盟を結ぶかどうか揉めているとき、松岡外相は、いずれはソ連を引き込んで日独伊ソの四国協定にもっていく、そうすれば英米と対等にやりあえると主張します。
 →これで三国同盟に反対であぅた海軍も、この話にはグラグラっと揺れる。
 →このアイデアは、ドイツのリッペントロップ外相から吹き込まれたというのですが、どこまで本気だったのか。

 →イギリスが屈服しない理由をソ連と裏で手を握り合っているからだと。
 だから、イギリスを屈服させるために、ソ連を三国の側に近づけるというわけです。

 →昭和14年に独ソ不可侵条約が結ばれた。 → スターリンは来るべきドイツとの戦争をとにかく先に延ばしたい。
 →松岡はこの独ソ不可侵条約の印象に引きずられたのではないか。 →結果、四国協定はできるという夢を信じてしまった。

 ⇒しかし、現実に昭和16年3月には独ソ戦は目前だという情報が飛び交っていた。


□ヒトラーの基本計画には日本との作戦面での協力が含まれていなかった。
 →ヒトラーは「独ソ間に戦争が起きた場合、日本の参戦は不要である。むしろ、最善の援助は日本のシンガポール攻撃である」と述べていた。



□ソ連のスパイであるゾルゲは、逮捕された後、四国協定構想について馬鹿にした供述をしている。 …日本では「日独伊ソ」の協定などという構想を偉い人が真面目に議論しているが、祖国ソ連ではそんな話は毛頭ない。信じるほうがどうかしていると、からかいをこめて取り調べに応じている。

 ⇒
この一連の過程で露わになったのは日本の情報力というより分析力の欠如ですね。素直に見れば見えているはずのものを、希望的観測にもとづいて見えないと思ってしまう。


□四国協定という幻想は、ドイツの
対日世論工作で植えつけられた、と思っている。
 ⇒ドイツは、四国協定構想を日本に植えつければ安心して三国同盟に乗ってくるぞ、と考えたのでしょう。
 だから、実はすでにソ連を攻めると決断していたにも関わらず、一切否定していない。
 日本人が間違ったイメージを抱いているなら、それを利用してやれという意思があったと思う。


■対米戦略の場当たりさ

 日露戦争までは、まだしも国家戦略があったように思うのだが、次第に場当たり的となるのは何故か。

 →アメリカが世界史のなかで浮上してきたため。
  日本は、アメリカとどういう関係を結ぶのか終始揺れて答えを出せなかった。

 →日本海軍にとって複雑だったのは、対米問題を考えていればよかったわけではなかったこと。

 →海軍の現場にとっては、アメリカとの戦力格差は圧倒的なんです。合理的に考えたらかなうわけないのに、なおかつ対米戦への準備を具体的に進めろを言われる。




□まとめ、感想など

 文は、まだ続くのだが、将来まとめたい。