■月見…つきみ…




□まず、概略をおさえよう。


 
〈お月見〉〈名月〉と呼んで,お供え物をして月を観賞する行事であり、日本各地にゆきわたっている。

 中秋の名月を観賞することは,中国の唐代にはあり,日本に伝わって上流階級の間に行われ,しだいに民間にも及んだものであろう。

 月見だんごを作り,ススキの穂を供えるのは、都市部とその周辺の行事であり,地方へ行けば、それ以外の習俗が十五夜に結びついており,単なる風流の夜ではないものラシイ。

 十五夜…じゅうごや…は、元来、イネの収穫祭と祖霊祭が営まれる重要な折り目であったラシイ。

 もともとは、いもの収穫のときの儀礼であった十五夜が,水稲栽培の発達に伴って,イネの収穫儀礼と結びついたものと考えられる。

 中国に住んでいるヤオ族,ミヤオ族の主要な作物は、いも類であり,十五夜の満月祭は、その収穫儀礼であり,新年祭としての意味をもっている。

 華南一帯の漢民族の間にも,仮装した女や子どもの物乞い,集団での舞踊,畑作物の受贈なども中秋節に認められる。

 
日本と華南における十五夜儀礼のこのような一致は,かって、同一の文化を共有した証しであろうと想像される。

 また、十三夜…じゅうさんや…は、旧暦9月13日の夜のことで,豆名月,栗名月とも呼ばれ、八月十五夜と併せて,〈片月見はするものではない〉と伝えられている。

 福岡県の海岸部では,この日を〈女の名月〉と呼んで,女がいばってもよい日だと伝えられている。

 この祭りが女性を中心に営まれたことを示しているものラシイ。



□まとめ、感想など

 こういう古来からの慣習のようなものを細々でもいいから、残していきたいものだ。





□記事にあるミャオ族について辞典で調べてみよう。


■ミャオ族
■苗族
Miao

 中国南部の貴州省、雲南省、湖南省、広西(こうせい/カンシー)チワン族自治区、四川(しせん/スーチョワン)省などに分布し、少数は海南島、湖北省にも住む少数民族。

 さらに、ミャオの一部はベトナム、ラオス、タイの北部にも居住し、メオとよばれている。

 ミャオは中国の少数民族のなかでも人口の多いものの一つであり、中国国内ではおよそ740万人(1990)である。

 ミャオの言語はシナ・チベット語族ミャオ・ヤオ語群に属するが、これをオーストロアジア語族のモン・クメール語群に入れる説もある。

 おそらく時代をさかのぼるほど、オーストロアジア語族の諸民族が伝える共通の言語の要素が多かったものと思われるが、長い間シナ・チベット語族に取り囲まれていたために、その影響を大きく受けるようになり、現在ではシナ・チベット語族的要素が強くみられる。

 ミャオ族は古くから中国南部に住んでおり、ミャオ(苗)という名称は漢民族によってつけられたものであるが、苗とは古くは南部の蛮族一般をさす名称であったと思われる。

 ミャオ族は漢族の南方進出に押されて、しだいに南下したり、長江(ちょうこう/チャンチヤン)(揚子江)上流域に移動したりして、今日の居住地域に分布するようになったと考えられている。

 彼らのうちには川沿いで水稲耕作を営む平地のミャオと、山の中に住んで焼畑耕作を行う山のミャオとがあり、両者の間では通婚は行われていなかった。

 宗教はアニミズムで、各村にいるシアン・シャンというシャーマンが厄払いや病気治療を行う。宗教行事としては、ナウ・フー・ナウという、牛を殺して祖先を祭りその肉を共食する祭りが知られているが、7〜13年ごとに、作物の収穫後に村をあげて盛大にこの祭りを行う。

 ナウ・フー・ナウを共同で行ういくつかの自然村が一つの氏族となっていて、外婚単位でもある。

 ミャオ族は洪水・兄妹婚神話を伝えている。

 ミャオの神話伝説は歌謡の形式で伝えられており、「老人天地を開く」「99の太陽と99の月」などが知られる。

 民話が豊富なこともミャオの一つの特徴である。彼らは、若干の地区で宣教師によってつくられた表音文字を除いては、元来文字をもたない民族であったが、1949年後、ローマ字によるミャオ文字が制定され、民話集はじめ辞典、技術書などが発行されるようになった。






□上の画像はミャオ族