■ゆとり教育の内容は何なのか





 
先日、子供の日に、文部科学省の担当者をまじえた教育についての特集をテレビでやっていた。

 文部科学省の担当者の曰くは、(はっきりと言った訳ではないが…)躾…しつけ…は家庭のこと、土曜日の休みは、教員にとっては当然のこと、学力に差がつくのは、生徒個人のこと…といわんばかりであった。

 う〜ん、なんというか。

 もう、「ゆとり教育」の「ゆとり」という言葉にだまされまい。
 
 「ゆとり」という言葉は、「のびのびと」などと同じ、なんとも日本的で曖昧な、本質をぼかした言葉なのだ。

 要するに、教員も普通の労働者なのだ。土日は休みたい。

 本来家庭で行うべき、しつけのことまで教員に押し付けられてたまらない。

 最低限のことを教えれば、伸びる伸びないは生徒個人のことじゃないか。…まぁ、そういうことなのだろう。

 それはそれでいい。

 確かに躾…しつけ…は、家庭の問題であろう。伸びる伸びないは、生徒の個人的な資質との相談であろう。

 
ならば、「ゆとり教育」などという、単に耳触りのイイ言葉で内容を曖昧とすべきではあるまい。

 学校としては、これだけの、ここまでのことしか出来ない。
 ここから先は生徒個人の家庭でおこなってください…というべきであろう。


 また、生徒の親達も、家庭ですべきことと、学校に期待すべきことを明確に区分しよう。
 ちょっと殴られたとか…ぐらいで、先生を糾弾すまい。

 瑣末なことをいちいち苦情として申し立てられたら、教員も萎縮して思い切ったことなどできはしない。

 こうしてみれば、学校も、家庭もどっちもどっちなのだろう。

 結局、生徒個人の環境…両親が教育についてどのような姿勢なのか、経済的余裕はどうか、生徒個人の素質はどうか…で大きくバラツク時代がくるということだろう。

 優秀な子供は一層優秀に、劣った子供は一層劣ってしまう。…そういうバラバラの…家庭の環境が大きく左右する…時代がやってきたという事だ。

 なんのために勉強するのか…という明確な目標を子供たちに、もたすことのできない両親には、辛い時代が来そうだ。

(また、これからの日本の政治経済にとっても、影響甚大であろう)