■ゆとり教育からの方針の転換   …2005年春



■始めに

 ゆとり教育というものがなされて数年、結果として日本の小学生、中学生達の学力の低下が顕著となり、2005年の春から方針の転換が図られた。

 まぁ、筆者などからすれば、こうなることは分かりきっていたことで、なにを今更…という気がする。

 じゃ、このゆとり教育なるものを推進した人達はどういっているのか…ということがBという雑誌の記事となっていた。

 結論から言えば、「ゆとり教育」が推進された原因は大きくは次の2つだという。

 1.官庁というところは、大きな方針を決めるとその方向へいかざるをえない。
 2.教師達が土曜日を休みたいから。


 以上のようなことが、原因だというのだ。呆然としてしまうではないか。

 こういう官僚たちの暴走を許してしまう…日本人の根底になにがあるのだろうか。


 以下、雑誌の記事を筆者が適当に抜粋し、末尾に筆者自身によるまとめ、感想を述べたい。

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■2002年以来実施されている現行の学習指導要領が発表されたのが、98年12月。
 旗振役であったT大臣官房政策課長(当時)は、次のような説明をした。

 ●ゆとり教育を推進していた時は、

 →今までは、小学生で3割、中学生で5割、高校生で7割の子供が授業がわからなくて、ついていけない。
 2002年度からの新教育課程では、教育内容の3割が削減されるけれども、授業がわからないという子がひとりもいないようにする。


 ●方針の転換後は

 →だいたい僕はできない子供に合わせて進度を遅くしろ、なんて一言もいっていませんよ。できる子はドンドン先に進んでいいんです。ただ、今度の指導要領は、全員がわかるように教えるということを目標にしたものです。


 クラスの底上げをしなければいけないから、教師は明らかに今までより努力してもらわなければんらない。もし、学力低下が起きるとしたら、その努力を十分果たさない場合でしょう。

 T氏が言うのは、いわゆる「最低基準論」である。学習指導要領はあくまで「ここまでは最低身にうけてください」という基準で、あとは学校や教師の裁量で自由にやっていいわけだ。

 だが、この論法を文科省が持ち出しはじめたのは、ゆとり教育への批判が高まりだしたごく最近のこと。

 …略…
 事実、批判を受けて2002年に教科書検定制度が改正されるまで、教科書には学習指導要領を超えた内容は書いてはいけないことになっていたのである。

 T氏は、
 「私は指導要領改訂直前に、スポークスマンのポストにいたから、その職責を果たしただけ。
 ゆとり教育の方針を決めたのはもっと前の世代です。当時はマスコミだって世論だって詰め込みはいかんの大合唱だったのですから。なのに私ひとりを責めて、当時の責任者を誰も問わない」…と。



●筆者…う〜んと思う。担当者がこういう意識なのか。ドロを被ろう…というような発想は皆無なわけか。
 ゆとり教育は、教師の側からも要望があったのだろう。そのあたりを見てみよう。 


▲ゆとり教育の具体的な中味は、次の三つだった。
 1.教科内容の3割削減
 2.総合的な学習の時間
 3.学校週五日制

 このうち、文科省が強調していたのは、1.2であった。
 では、3の週五日制はどうだったのか。

 最初に五日制を求めたのは、日教組(日本教職員組合)だった。
 「我々は1972年から週五日制を求めてきました。その意味では、現行のゆとり教育をされる指導要領はおおむね是としています」…と。

 そもそも、日教組が要求したのは教員の「週休2日制」。こどものためではなく、労働者としての待遇改善運動だった。

 だが、一般企業とは違い、学校には夏、冬、春の長期休業がある。教員はその期間にまとまった休みをとることができる。それに加えて土曜日まで休もうというものである。

 70年代には、さすがの文部省も日教組のあまりに虫のいい要求を呑むことはできなかった。

△ところが、80年代に入り、風向きが変わってきた。

 「80年代なかばに、アメリカからの外圧で週休二日制が普及してきます。その影響が教育の世界に及んでいき、『学校週5日制』を後押しすることになるのです」
 →当時、膨れ上がる貿易赤字に危機感を抱いたアメリカは、日本に強く内需拡大を求めてきた。
 時の中曽根政権は様々な内需拡大策を講じ、その中のひとつが「週休二日制」の導入であった。


△経済界と日教組の利害が一致した週5日制に対抗して、文部省は90年頃までは持ちこたえていた。
 92年春、五日制導入が正式決定される。

 この推進の背景にあったものはなんだろうか。

 →「臨教審以来、五日制を求める声はずっと続いていた。91年8月には公務員の完全週休二日制を促す人事院勧告が出され、翌年五月には法律で義務つけられた。教員だけが例外というわけにはいかなくなってきた、と判断したのではないか」


△五日制を受け入れてしまえば、あとはなし崩しだった。

 → 土曜日がすべて休みになれば、年間の授業時間数は百二十時間以上も減ってしまう。そうなれば、今までと同じ内容は教えきれない。教科内容の削減が進められていくのは自然の流れだった。

 
つまり、文部省が言ってきた「子どものためのゆとり教育」はきれい事に過ぎず、「はじめに五日制ありき」が真相なのだ。

 
→a教科調査員「あの頃はともかく削ることが要求された。われわれとしては授業時間数も多くほしいし、教科内容も残したかったのですが、そんなことが言える雰囲気ではなかった」

 →b教科調査員「以前の指導要領と比べればわかりますが、あれでは基礎・基本の徹底なんかできない。完全な失敗作です。
 本当の勉強は、螺旋階段をのぼるようにゆっくりと理解を深めていくもの。しかし、2002年の指導要領は、まず内容削減ありきだったために、途中ところどころに虫食い上に穴があいてしまった。」

 →現行の指導要領が審議されたのは、96年8月から98年7月に行われた教育課程審議会。 この時期、担当の初等中等局長の座にあったのがT氏である。
 →教育内容の3割削減を具体的に言い出したのはこのT氏だと口を揃える。


△そこで、T氏から話を聞こう。

 ●「私はいまでもゆとり教育が間違っているとは毛頭思いませんよ。」
  「ええ、三割削減というのは私が言いましたよ。完全週五日制とj総合学習を入れたことで、授業時間が15%減った。3割で丁度いいとおもったんです」

 →
「ゆとり教育は、まず五日制が最初にあって、その上ニカリキュラムの削減や総合的な学習が入ってきたんです。ですからゆとりというのは、教師にとっての精神的、時間的余裕ということなんです」

 →「ええ、子どもじゃない。教師です。それは教育課程審議会の議論の中にも出てきます」


 
⇒まさしくT氏が認めるように、すべての始まりは子どもとはまったく関係ない。日教組や経済界が求めた「学校週五日制」だった。
 
 なにしろ、「教師が休むために五日制を導入します」と本当のことを言ってしまっては、世間がとうてい納得しない。
 その時、ふと閃いた言葉が「ゆとり教育」ではないだろうか。






□2008.10月 新聞記事から。





 
→やっと、ゆとり教育というものから少し脱却できたようだ。

  
次は、週休2日制の廃止だ。

  土曜日は半日、授業をおこなうべきだ。

  時間数が足らなくては、多くの知識を詰め込むことはできない。
  詰め込み教育に帰れ。