□始めに。
平成23年3月の東日本大震災をうけて、文部科学省が、全国の校舎の耐震化を平成27年までにすると発表した。
今度の大震災でも、三陸海岸沿いの都市で、地震に耐え、一時避難所となったところが多かった。
まずは、記事からご紹介したい。末尾で、筆者の感想を述べたい。
文部科学省は24日、公立小中学校と高校などの施設整備の基本方針を見直し、平成27年度
までの5年間で全学校の耐震化を完了させる計画を掲げた。
期限を設定し明記するのは初めて。
東日本大震災では多くの学校が住民の避難所になっており、児童や生徒、近隣住民の安全面から防災機能の強化策を急ぐ必要があると判断した。
文科省によると、22年4月時点の公立小中学校の耐震化率は73・3%。
23年度当初予算と第 1次補正予算で2900棟分を上乗せしたが、計画される工事が完了しても約86%にとどまり、約1万
7400棟が残される。
20年の中国・四川大地震を受け、国は学校の耐震化工事の国庫補助率を期間限定で最大3分の 2に引き上げた。
当初の期限は今年3月末だったが、地震防災対策特別措置法の改正で27年度末まで延長されている。
国はこの間にすべての学校での耐震化完了を目標に掲げるが、残る校舎などの耐震化には国家 負担分だけで7千億〜8千億円が必要と見込まれる。
文科相は24日の定例会見で「耐震 化は最重点課題。地方公共団体の積極的な取り組みを促していきたい」と述べたが、財政難の自治体は重い負担から工事が進まないケースも想定される。
□感想、まとめなど
中国で、數年前に四川大地震というものがあった。学校なども随分潰れたのではなかったか。
中国の記事があったので、一部抜粋。
四川大地震から3年となった5月12日、震源地の四川省●(=さんずいに文)川県映秀や町が
壊滅した綿陽市北川県曲山鎮には遺族や市民が犠牲者の慰霊に訪れた。
政府が復興の成功を強調する一方、遺族からは3年たっても消えない悲しみの言葉が漏れた。
映秀の共同墓地。至る所で泣き声が漏れる。
「良い学校に行かせてあげられなくてごめん。天国ではもっといいお母さんを見つけて、良い学校に通わせてもらいなさい」。
映秀小学校に通っていた当時8歳の長女、呉興茂さんを校舎の倒壊で亡くした母親は墓前で泣き崩れた。
校舎の倒壊で多くの子供が犠牲になったが、中国当局は校舎の耐震性を問題視するなど 行政側の責任を問う親の行動を監視、抗議の声を封じ込めている。
母親は「校舎は数秒で崩れた」とつぶやき押し黙った。
倒壊した建物が「地震遺跡」として保存されている曲山鎮にも多くの人が訪れた。
1階部分が押しつぶされたビルの前で黄艇碧さん(60)は目に涙を浮かべながら線香をあげていた。
当時33歳だった会計士の息子はビル2階で仕事をしていた。
「遺体は見つかっていない。
この建物がお墓です」
→昔、小泉さんが、コメ百俵という話をしていたが、この校舎の耐震化というものと通じるものがあるようだ。
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