■ピラミッドの頂上と底辺




 最近の子供達の知識というか…常識についての話を聞いた。

 いわゆる学習塾というものが、多くなったのは、昭和40年代からだと記憶する。

 このような塾での教え方では、「効率」ということが重要視される。

 つまり、これだけの時間をかけて、これだけ点数が上がったとか、○○高校に進学した…そんなことが、評判となる。

 この「効率の高い勉強」というものが、現在の子供たちの知識を偏頗なものとしている元凶であろう。

 つまり、結果として点数として表現されるものに関心が集中する。

 点数として出ないものには興味を持たない。

 人として暮らしていくための常識は、大きなピラミッドのようなものだと思うが、今の子供たちの知識のピラミッドは、頂上が鋭く尖ってはいるが、底辺の小さな…まるで、ペンシルビルのようなものになっているのであろう。

 
これからの時代は、「学歴」というか、「肩書き」が一層、重要視される時代となろう。

 …なぜなら、低成長の時代が長く続けば、雇用は厳しいままであろう。

 雇用する側からすれば、求職者が多かった場合、なんらかの肩書きで選別するしかないから…。(アメリカの例をみればよく分かる)
 
 そうなると、子供たちの知識のピラミッドの底辺を広げる役目を負うのは学校と家庭しかあるまい。

 学校はともかく、家庭では特に父親が、子供達に質問をして、知っていたら誉めてやる…
 
 「知ることの楽しみ」「知識欲を目覚めさせる」…そんなことを躾(しつけ)と共に、教えなければならないのでは…と考える。