□韓国の新聞に記事があった。
日本人の読書好きについての記事だが、記事へのコメント欄も含めて、日本人の読書とかに関連して面白いと感じた。
□まず、韓国の新聞から記事から紹介する。(抜粋)
□傘をさしても本を読む日本人
梅雨が始まったばかりの先日、銀座で横断歩道を渡るときだった。
60代はじめぐらいの男性が右手には傘をさし、左手で本を持って読んでいた。
これって何だろう。
雨が降って傘をさしているのに本を読むなんて。
とても驚きながら見ていたら、信号が変わる瞬間まで本から目を離さなかった。
日本でも本の販売量は減少状況だ。
地下鉄で本を読む人も減っている。それでも地下鉄に乗れば本を読んでいる。
本を読もうとする情熱は熱く見える。
日本人たちは本を読むのに熱心だ。
本を読むのに特別な季節がないのも特徴だ。
「秋は読書の季節」などというが、それはあまり関係がなさそうだ。
暇さえあ れば本を読む。ホームレスだって本を読む。
大学で作家を研究する集まりが随時に開かれるのは言うまでもない。
日本人のこうした読書愛は68年、川端康成に続き、94年の大江健三郎まで、2人のノーベル文学賞受賞者を輩出する底力ともなって
いる。
ノーベル文学賞をもっては韓日が0対2を記録中だ。
この格差を一瞬にして狭めることはできない。
韓国では90年代以後は系譜を作るほど日本の作家たちの作品が勢いを増している
からだ。
日本では本が出れば読者たちは蜂の群れと化す。
村上春樹の新作「1Q84」は、出版10日で100万部が売れた。
すると傘の中で、 そして地下鉄の中で死に物狂いになって読む。
いつでもどこでも読書が可能な文庫判で本を出す実用主義も日本人を読書狂にした。
一瞬に天才作家が現れてノー ベル賞を獲ることはできない。
作家たちの努力も必要だが、国民の読書熱が知識先進国の下地ということを日本で痛感させられる。
■上記記事に対して、日本人が様々にコメントしている。
そのいくつかを転記してみよう。
□記者はかつて韓国メディアや教育機関で植え付けられた思いこみや偏見ばかり羅列していた記者から脱却し、自分の足で取材した事実を素直に書ける記者へと成長しつつあるようだ。
昨今の日本において指摘されている読書離れ・活字離れは、情報 伝達手段としてテレビや書物からパソコンや携帯情報端末にシフトしつつあること、さらに私より下の世代(PC/携帯とともに育ったY世代)が政府の誤った
ゆとり教育政策の犠牲になってしまったことが原因として考えられる。
当記事では読書奨励をノーベル賞と結びつけているため唐突感を覚えるが、かつて民族主
体性を奪われた韓国人としては世界的に認められた権威から自らの存在根拠を確認したいという思いが深層心理にあるのだろう。
知識先進国を志向するのであれ ば、書籍のみならず、TV、インターネット、メール、携帯、対人コミュニケーションなど、様々な伝達手段を用いた総合情報活用力の向上を提案してみると良
いかもしれない。
□『本を読まない人間は、人間の形をしたサルにすぎない』こういう意見がでるくらい、日本では読書から何かを得ようとする風潮が強い。
日本が他の国に比べ て決定的に違う点は、著名な人物が偉いのではなく、一般の名もなき人物に偉大な人が多いということ。
見識、理性、教養、社会性・・・日本はどの層でも他の 国よりはこの点について勝る。
もっとも、国家の指導者層だけはいただけないが・・・。
□こういう土壌の為西洋の文物に接しても、その価値を瞬時に正確に理解することが出来たのだ。
このような歴史的背景から、常にどこかで新しい優れた考えが生 まれている事を日本人は知っている。
日本人は情報音痴などでは決して無い。
むしろ情報収集を無意識にやっている民族だ。
これが日本人の読書好きにつながっ ているのだと思う。
新聞の高い発行部数、大型本屋が日本に多い事、また普通のレンタルビデオ屋の高い充実度(米国の物と比較すると狭い所に緻密にびっしり
置いてあるのは感動的でさえある)など、情報収集好きな日本人の特性が背景にあるように思う。
こういう特性を持ち続ける限り、日本が滅びることは無いと思 う。
□日本人が読書好きなのは、日本人は優れた考えが日本の外にもある事を良く知っていて、情報収集を怠らない国民性を持っているからだと思う。
古来日本は、朝 鮮半島経由などで中国の文物を積極的に吸収して来た。
当時の人々に取ってこの物理的距離は、非常に大きなものであったはずだが、日本人は体系的に正確に中
国の文物を理解し自分の物としている。
更に日本人は遠い国から来た知識も大事する。
遠い国から来た知識が多い為、その貴重さを良く理解していたのだろう。
お陰で日本人は、知識に対する態度が非常に真摯だ。
今中国の学者は、中国の古典書を日本に見に日本に来るそうだ。
日本人はちゃんと大切に保管していたのだ。
□日本で仮名が作られたのは、「漢字が難しかったから」ではありません。
漢字を使って経典をよむ時に、中国語文法と日本語文法の相違に気付いた坊さんたちが、中国の抽象概念語を使いながら、日本語の文法的意味を明示するという特性を生かすために作ったものです。
中国語だけでは、動詞も名詞も形容詞も同形で 意味が曖昧になることを、日本人の祖先は嫌ったのです。
中国ではあんなに早くから文化が発展しながら、近代科学文明が発生しなかった理由はそこにあると思 います。
韓国も世宗の発明した文字と漢字を混ぜる文体を確立していれば、近代の悲劇は生じなかったと思う。
□日本人の読書好きのひとつは、日本文字にあるように思います。
大昔、中国から漢字が伝わったが、難しすぎて一般には広がらなかった。
そこで、ひらがな(お よびカタカナ)文字を発明し、日本独特の漢字−ひらがな文字とした。
これが日本人の読書好きを広めた第一の要件でしょうね。
韓国は、漢字を棄て、ひらがな に当るハングルだけにしなすった。
これが韓国のすべての発展にマイナスに作用していますな。
韓国人は「読書しない」のではなく、「ハングルは読めない」の です。
□『傘の中で、そして地下鉄の中で死に物狂いになって読む』・・・・日本人は読みたいから読むのであり、死に物狂いで読んでいると見えるのは韓国人の思慮の浅さだろう。
それより、韓国は自国発祥のプライドに拘り、漢字を廃止してハングルだけにした事はどうなのだろう。
読書だけならまだしも、学術書や専門書は 微細な表現が難しく、正確に表記しようとすればかなりの長文になるのではないのだろうか。
日本は漢字を取り入れ、今では日本製の造語漢字を中国が使ってい る。
毛沢東主席の有名な論文 『実践論』ですら、1/4は日本製漢語によって構成されているという。
【幕末以降の和製漢語の例】 文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本、階級、分配、宗教、哲学、理性、感性、意識、主観、客観、科学、物理、化学、分子、原子、質量、固体、時間、 空間、理論、文学、美術、喜劇、悲劇、社会主義、共産主義…。
漢字でできた近代的な概念語の大半が日本製となっている。
□まとめ、感想など
さぁ、どうだろうか。
日本人の読書好きの核心が見えるようだ。
特に、--著名な人物が偉いのではなく、一般の名もなき人物に偉大な人が多いということ--など、本質を突いていよう。
恐らく、ヨーロッパのような階級社会ではないということは、日本人の誰にもチャンスというものを与えているのだ。
また、最初から落伍者というか、「考えることを求められていない階層」というものが存在していないことを意味しよう。
別の視点からいうと、中国語の漢字のみ、韓国語のハングルのみの文章では、複雑な概念を伝えることができないのだろう。
だからこそ、それを補う形で、英語教育というものがなされているのだ。
日本語は、幸いにして漢字かな混じり文というものを採用した。
そのお陰で、大学院レベルまで教育が可能だ。
日本人の読書好きというものの背景に、
1.階層社会ではない。
2.大学院レベルまでの教育が可能な漢字かな混じり文を採用している
ということがあるのであろう。
□中国人の読書量について、記事があったのでご紹介したい。
--ここから--
2010年4月25日、中国人の読書量は年平均4.5冊と日本や韓国などの周辺諸国よ遥かに少ないことが、四川省成都市で開催中の「第20回全国図書交易博覧会」で明かされた。
これは日本人の読書量のわずか9分の1でしかない。
新華網が伝えた。
中国出版工作者協会の於友先代表が明かした中国出版科学研究所の行った調査によれば、中国人の年間読書量は平均4.5冊。
韓国は11冊、フランスは20冊、日本は40冊、イスラエルは64冊で、各国と比べて中国人の読書量は明らかに少ない。
また、購入する書籍の種類も功利性、実用性の高い書籍に偏っており、大型書店では参考書や試験の対策本といった書籍の売り上げが大部分を占めている。
中国では近年一種の「読書実用主義」が広がっており、実用的な書籍は読むが、実用的でない書籍は読む必要がないという考え方がみられる。
於代表は「読書は文明や知識を後世に伝え、国民の素養を高める重要な手段であり、実用的かそうでないかなどという線引きは狭く偏った考え方だ」と指摘している。
--ここまで--
中国人はともかくも、イスラエル人は日本人の1.5倍か。
なるほどなぁ。数字は鵜呑みにはできないとしても、ユダヤ人の凄さが分かる。
日本人の子供たちには、是非、頑張ってほしいものだ。
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