■漢字--高等教育




□はじめに

  韓国で、今、漢字が見直されているが、なかなか、全面復活とはいかないようだ。

  では、現在、漢字を使わずにどのようにして、教育がなされているのだろうか。
  韓国人の文章があったので、それをご紹介して、末尾に感想をのべたい。




□Nature 誌の 読書人口と韓日間の隔差

 新聞を読む事ができないソウル大学生があるうえ, 韓国科学技術院(KAST)でも 保有する Nature誌を日本では中高校生も読むのに, こんな高い概念の科学誌の読書人口は私たちの1,000人しかない。
 それを教育部長官は確認して欲しい。

 視覚的高機能キーワード性漢字を通じて、彼らは6倍以上の速度で(100倍以上の Strobe 実験結果も あり) 左右脳に同時に正確に入力させながら読んで行く。

 漢字は能動的自習,すなわち独学用で公教育なしにも高卒以上学歴も可能だ。
 反面、漢字が抜けたハングル版Nature 誌は抽象画や暗号文ようで高度の想像力なしには解読が不可能だ。

 同音異義語らと視覚性不足だから解読過程でくたびれて Reviewを、熟読どころか二度と 眺めることさえ嫌になる。

 日語版では生成物の磁気, 電気, 光学, 機械的な…で 表現すればたいてい 内容を把握できる。対してハングル版では “生成物の磁気(magnetic), 電気(electrical), 光学(optical), 機械的(mechanical)”で英語を併記した。

 韓国学生らには、英語なしには 科学の学習が不可能で,山ほどの外国文字を読むとして, 全量輸入に掛かるパルプの浪費もおびただしい。
 それよりも読む本がないから 出版業界はもっとあぶない。

 私たちは、ノ−ベル科学賞候補らを墜落させ、技能オリンピックで13回の綜合優勝で世界1位の技能者を作っただけではないか?



□まとめ、感想など

 韓国でどのような大学教育がなされているか…想像がつく。
 漢字を捨てた…ということが、これだけのハンデになっているのだ。

 漢字は確かに、面倒くさいし、かってパソコンのない時代はす早く文章を書くこともできなかった。
 しかし、pc がそのあたりを解決すると、速読するとか、直感で理解する…というには、非常に便利な言葉となった。

 今、世界では科学部門では英語が、社会科学部門では日本語が圧倒的に有利になったといわれている。
 逆にいえば、英語と日本語を習得すれば、全世界の殆どの論文が読めるのだとか…

 まぁ、これからどうなるかは分からない。
 しかし、漢字の便利さは不変だ。漢字が見捨てられるということは将来でもありえまい。




■漢字は国家競争力。

 2009.7月
 中国で、漢字の簡体字をどうするか…という論争があったという。
 漢字というものの重要性が良く分かる記事だと思う。(韓国の新聞から)


「漢字とは何か。文化か、それとも文字か」。「文化だ」。「文字であると同時に文化だ」。「疎通のための文字だ」。

 禅問答のような討論に参加した人たちはみんな真剣な表情をしている。

 最近、中国CCTVニュースチャンネルの人気時事番組「小崔説事」の討論の雰囲気だ。

 この日のテーマは漢字の繁体字を復活すべきかどうか。
 ゲストとして招かれた中国漢字研究学院の蕭啓宏博士が尋ねる。

  「では簡体字は文化か」。さまざまな回答が出てくる。 「文化だ」。「疎通のための符号にすぎない」。

 中華文化編集の王干氏が入ってくる。

 「簡体字は表意文字元来の形状と意味を喪失し、道理を語る文字としての資格がない」。

 傍聴席にいた女子中学生が手をあげて反論する。

 「今になって繁体字を復元すれば、私たちの世代は文盲になる。これに対してどう責任を取るのか」。

 蕭啓宏博士がまたマイクを握った。

 「学生がいま繁体字を学ばなければ、数年後には中国文化の根本を韓国に行って学ばなければならなくなる…」。

 1時間ほど続いた討論からは「識繁写簡」という結論が出た。
 簡体字で疎通するものの、繁体字は必ず学ばなければならない、という意味だ。

 ほぼ半世紀続いてきた繁体・簡体字をめぐる論議が最近また中国で熱くなっている理由は何か。
 中国経済が発展する中、繁体字が文化として認識されているからだ。

 文字一つひとつに内在する歴史的倫理的・哲学的価値の無窮を認識し始めたということだ。
 驚くことに、これは中国だけのことではない。

 日本は現在、漢字復興期だ。
 昨年289万人が漢字検定試験を受験し、TOEFLの受験者よりも多かった。

 主要企業の大半が漢字の実力に加算点を与え、492の大学、1000の単科大学、399の中学・高校では漢字は入試科目になっている。

 その理由を日本の学者は、漢字が「正政之始」であるためだと分析している。
 唐の時代に日本に渡った漢字はこれまで国家経営のほか、個人修養の根本哲学として認識されてきた、という説明だ。

 ベトナムも賛同した。
 今年初めハノイ大学法科教授の数人が自国の教育省に全面的な漢字教育を始めるべきだと建議した。
 政府が前向きに検討を始めた。

 理由は2つだ。

 過去に漢字で記録されたベトナムの歴史の根本を失ってはならず、中華圏に囲まれたベトナムにとって漢字は国家競争力ということだ。

 韓国はどうか。
 2004年に始まった国家公認漢字資格試験の趣旨は自己啓発水準にとどまり、毎年受験者は数万人ほどだ。

 中学・高校の漢字の授業は週1・2時間にすぎない。
 大学の入試科目としてはいくつかの韓医大に限られている。
 親の名前を漢字で書けない小中高生は8割を超える。

 中国漢字教育の大家である蕭啓宏博士が自国の女子中学生に「数年後には韓国に行って中国文化の根源を学ぶことになるかもしれない」と述べた時、記者がドキッとした理由だ。



□まとめ、感想など

 確か、元々は現在の台湾が使っている繁体文字だけだった。
 日本は1945年以降、中国は1970代以降に簡単になるように工夫したきた。

 理由として、手書きの場合に大変だし、中国では子供の教育という問題があったためであろう。
 しかし、パソコンが発達してくると、手書きの煩雑さ、手間が薄まっていった。

 対して、プラス面からは表意文字のもつ直感力の高さに、マイナス面からは歴史書を読むことが出来なくなるということの恐れから、漢字が見直されてきたものだ。

 
漢字は国家競争力だ…という言葉が筆者には一番響く。その通りだと思う。
 日本のような漢字かな混じり文を採用している民族にとっては、漢字の価値は極めて高い。

 ベトナム等が漢字を復活するとか…う〜ん、好敵手が出現しそうだなぁ。





□2012.3月掲示板で、日本の漢字について外国人の間で議論がなされていた。興味深いテーマだと思うので、転記したい。


□Silverbackman アメリカ
 日本って漢字を使い続ける必要ってあるのかな?
 日本語を学ぶのが更に難しくなるし、ひらがなやカタカナで何でも表現できるのにさ。

 漢字は中国語が起源で、ひらがなやカタカナがある事で日本の特徴になってるわけだけど、漢字は要らないと思うんだけど、どう?


□Emoni 日本
 漢字がないと、日本語は逆に余計難しくなるのよ。
 仮に漢字を廃止したり検討したりしたとしたら、日本はオカシくなると思うわ。
 漢字は外国人にとって厄介かもしれないけど、ワケも無く難しいわけではないの。


□Revenant 日本
 漢字の廃止が検討されてるって聞いた事があるわ。
 コンピューター・プログラムのスペースが増えるし、日本人自体もパソコンのお陰で漢字を忘れ始めてるとかの理由で。

 漢字の廃止で読みが難しくなるとは思わないな。
 英語がそうであるように、同じスペルの単語でも文脈で判るしね。
 スペースや句読点がそうであるように、漢字は動詞・名詞や助詞を伝えるのに役立ってるるのかもしれないけど、


□Bob in Iowa アメリカ
 漢字の廃止なんて馬鹿げてるよ。
 Emoni が言うように漢字がないと日本語を読む事はずっと難しくなる。
 カナは単に音を表現したもの。

 漢字は物事・表現・概念・名前を表現する。
 だから一連のカタカナを読むよりも、漢字は言葉の意味をより理解しやすくすることが出来るし、文章の意味合いを理解する事が出来るんだ。

 さらに、この言語の最高に素晴らしいなめらかさは、卓越した執筆家によって(微妙で多様な含蓄のある漢字を選んで)記された書籍に表されているよ。
 これは我々が使っているチンケなアルファベットなんかより遥かに言葉の微妙な含蓄を表現できるんだ。

 ちょうど良い例として、新生児の命名がある。
 カナだけだと、「たかし」じゃ何の意味も持たない。カナは只の文字だ。
 漢字を使うと、「たか」と「し」というそれぞれ具体的な意味を持った言葉に分けることが出来る。

 子供の人生に対しての希望を注ぎ込む事ができるんだ。
 「ひらがなやカタカナがある事で日本の特徴になってる」
 確かにね。でも両方とも漢字から派生したものだ。


□Maciamo ベルギー
 漢字がないと日本語は書く場合に訳が分からなくなるよ。
 同音異義語が多すぎるんだから。
 もうカナだけの本は読みたくないもの。

 幼児向けのそういった本見たことあるけど、真の文学は理解が難しいものだ。
 日本人同士が日常において、お互いに理解しあってるのかはわからないけど、多分難しいという理由で、彼らは普段、簡単な言葉を使っていたり、ニュース番組なんかでは字幕があるんだと思う。

 漢字が無くなると詰まらなくなる。趣味の一つが漢字を習う事なんだ。
 駅の名前なんてどんな言語より漢字のが一番美しい。
 ひらがなだけの路線とかあるけど嫌いだ。ひらがな自体が嫌いって意味じゃないよ。

 日本語を再構築しようとするのなら、英語を表記するのにカタカナをやめてローマ字を使うべき。
 カタカナは他の言語に比べて表現できる音が足りな過ぎるよ。
 (r/l, v/b, y, w, diphtongs such as "eu"...)


□Index オーストラリア
 カナで書くのって、場所を取り過ぎる。実用性がねぇ・・・。
 例えば「私」と「わたくし」。
 こんな早口言葉知ってる?

 gardensを意味する(にわ;庭)
 there isを意味する(には)
 を使って、こう言う意味だと思うんだけど、「私の庭には二羽のニワトリがいます」

 日本語だと「にわににわにわがいる」。つまり「庭ににわ二羽が居る」・・・。
 こんな感じだと思うの。
 ね。カナでは表現しきれないのよ。


□Flowerbird メキシコ
 漢字が無ければ日本語読むの楽になるよ。漢字を最初に習うのは厄介だ。
 でも少し覚えれば後戻りしたくなくなるよ。もっともっと色々と知りたくなるんだ。

 それぞれの漢字に秘められた個性には学ぶべき素晴らしい事があるんだ。
 この個性を取り除くなんて文化的にも歴史的にも途方も知れない損失になるだろう。


□SkippyDaStudent85 アメリカ
 個人的には漢字を習得するのはとても大変だったけど、廃止するべきではないね。


□gokarosama 日本
 漢字の廃止なんて想像できない。
 有り得ないけど、日本が将来全体主義になったとしてもね。
 仮に廃止されたとして外国人が習得しやすくなるか・・・・どうかな


□筆者の感想など

 考えてみれば、文庫本などが成り立つのは、漢字あってのことだろう。コンパクトな面積に、膨大な情報が盛り込めるということでもある。

 
日本人は、日本語という武器をもっているが故に、他国より進歩が速いのだと言えるのかもしれない。
 だからこそ、日本人は「漢字」というものを失ってはならないし、漢字の価値について、充分に認識をすべきだと思う。






□2012年3月

 日本人からの「漢字」についての意見があった。
 核心をついていると思えるので、転記したい。


--ここから--

 漢字はスペースに対して含まれている情報量が非常に多い

 水・海・河 火・焼・燃 木・林・森のように属性を表したり「花」と書くのと「華」と書くのは同じ読み・似たような意味でもニュアンスが全く異なる

 こんなふうに知ると識る 思うと想う 合う・会う・逢う・遭うのように似ているけど微妙に異なる意味を付与したりさらに九・究のように部首で音まで表してくれる

 日本の文字文化のおもしろさや表現力の豊かさは漢字があるからこそ
 さらに読む時もひらがな・カナカナ・漢字・alphabetが区別しやすいから速読が可能

 こんな便利な文字そうそう手放せないよ 


--ここまで--




□筆者の感想など

 pcの発達というものが、ここまでの感想を述べさせるところまできたのだろうなぁ。
 筆者の若い頃は、カナで統一してみようとか--文章化の手間を省く方法が考えられていた。
<1970年代、梅棹先生の知的生産の技術などを読めば分かる>

 pcで、文字変換というものが確立されたのが、1990年の頃、20年くらい前か。
 以後、文字とおり、マシンガンのようにタイピングができる人まで出現した。

 漢字という「手間のかかる文字」が、視覚化・直感化の効果が高い---とやっと、言える所まできたということでもあるのだなぁ。



■ちょっと、古い文章なのだけれど、
 「
漢字かな混じり文は、日本の宝」と題する文章をご紹介したい。

 書かれたのは、もう亡くなった日露通訳の米原万里さんだ。
 まず、文章をご紹介する。末尾に筆者の感想をのべたい。


--ここから--

 
それにしてもロシア語の場合、その数わずか三十三。
 大文字小文字両方合わせても、 たかだか六十三である。

 ひらがな、カタカナ五十字ずつに加えて、三千字前後の漢字を書けて、五千字以上の漢字を読めることになっている日本人が、怖じ気付き、覚えるのを 億劫がるような数ではない。

 その気になりさえすれば一時間で覚えられる量だろう。

 小学校の三年からの五年間をチェコスロバキアで過ごし、中学二年の三学期に帰国して 地元の区立中学に編入した私は、何はさておき、大わらわで教育漢字、当用漢字を詰め込んでいかなければならず、その膨大な数を前にして愕然とした。

 幸い、チェコでの五年間は、両親が日本から持ち込んだ日本語の書籍をしつこく何度も読み続けてきたおかげで、受け身の、いわゆる消極的知識としての漢字読解力はわずかながら持ち合わせていた。

 しかし、積極的知識としての漢字を書く能力の方は実にみすぼらしいありさまだった。

 「日本人が全国民的に文字習得に費やす膨大な時間とエネルギーと記憶容量を考えると、何たる非効率、何たる無駄。同じ時間を何かもっと意味のあることの習得に使えないものか」

 この思いこみは、ついこのあいだまで私に取り付いていた。

 実際、明治以降ヨーロッパの 言語を習得した知識人の一部からも、日本語ローマ字化の声が何度かあがっている。

 ところが、同時通訳稼業に就いてサイトラ、すなわち sight translation (黙読通訳)をするようになって、この考えがコペルニクス的転換をとげた。

 サイトラとは、 スピーカーが文章を読み上げるような場合、その原文テキストを事前に入手して、目は文章を追い耳はスピーカーの発音を確認しながら訳出していくやり方のことである。

 あらかじめ翻訳しておいて訳文を読み上げるのではなく、耳と目からインプットする情報を瞬時に訳出言語に転換してアウトプットしていくというやり方である。

 このサイトラを何度もやっているうちに、日本語のテキストからロシア語へサイトラする方が、その逆よりはるかに楽なことに気付いた。

 ロシア人のロ日同時通訳者に確かめると、「われわれは、もともと日本語からロシア語へ訳していく方が楽なんですよ」と、軽くいなされてしまった。

 たしかに、一般的な母語への、つまり私の場合ならば、日本語への通訳の方が楽なはずだ。

 なのに、サイトラに限ってロシア語にする方が格段に容易なのはなぜなのか。

 念のため、わが日本人の同僚たちにたずねてみると、みな異口同音に、「あら、そういえばそうねえ」と嬉しいことに、私の発見の正しさを再確認してくれるではないか。

 ということは、アウトプットの問題ではなくて、
インプットのプロセスにこそ謎が隠されている。

 そのようにして私は、
時間単位当たり最も大量かつ容易に読解可能なのが日本語テキストなのに気付かされたのである。

 表音文字だけの英語やロシア語のテキスト、あるいは漢字のみの中国語テキストと違って、日本語テキストは基本的には意味の中心を成す語根に当たる部分が漢字で、意味と意味の関係を表す部分がかなで表されるため、一瞬にして文章全体を目で捉えることが可能なのだ。

 すっかりこの発見に有頂天になった私は、様々な種類の文章の、日本語版とロシア語版を時間を計りながら黙読してみた。

 そして、活字にして断言できるほどの自信満々な確信を持つにいたった。

 黙読する限り、日本語の方が圧倒的に早く読める。
 
私の場合平均七・六倍強の早さで、私の母語が日本語であることを差し引いても、これは大変な差だ。


--ここまで--





□感想など

 
単位時間当たり、もっとも大量に、容易に解読できるのが日本語なのだ--ということ。

 この指摘は嬉しい。
 それは、勉強の効率が、読書の効率が他の言語より高い<他の6-7倍?>ということを意味している。

 どういう言語で育つか、教育を受けるか--というのは、文字通り「運」そのものではある。

 それでも、日本語で教育を受けるということが、言わば、それだけで「宝くじ」を引いたようなものだ--という指摘だ。

 その僥倖を噛み締めながら、勉強に読書に励みたい。