■責められることではない。謝ることではない。




 
北朝鮮からの帰国者…というか、自らの意思で行った訳ではないから、現状に復帰したというほうが正しいだろうが…のニュースが喧しい。

 本当のことを言っているのか…などという表現がなされているが、如何なものか。

 言わば、神隠しのような状況の中で、四半世紀を過ごしてこられた方たちだ。

 「自分達だけが生きて帰ってきて…」などという表現には、傷ましくて堪らない。

 本来、謝るというようなことではないではないか。

 また、なにか隠し続けているのでは…とコメントがなされるが、隠すというより、自分の見聞きしたことが言えない、また、情報も乏しいのであろう…そのような状況ならば、当然であろう。

 見知らぬ土地に、強制的に連れて行かれ、誰に連絡することでできない状況のなかで、自分の意志を押し殺して順応しなければならなかった。

 それ以外に生きる路はなかったに違いない。

 そういう適応というか、順応した姿を誰が責めることができるのか。

 責められることではない。謝ることではない。

 いま、自由に発言できる日本から見るとはがゆく感ずるかもしれない。

 しかし、もっと、時間をおこう。

 自分を守るための、…四半世紀という長い間、この世に存在しないと言われていた人たちなんだ…そういう殻が溶け去るまで、ゆっくり待とう。






■2008.11月の記事から。


 
「めぐみと同じ制服姿を見るのは切ない」。横田早紀江さんは、女子中学生らを前にこう語りかけた後、めぐみさんを歌った生徒たちの 合唱に涙をぬぐいながら聞き入りました。

 横田めぐみさんの母親・早紀江さん:「めぐみがいなくなった時と同じ、紺の制服姿を見るのは本当に切ない」また、 早紀江さんは「あとどれくらい生きられるか分からない」と拉致問題で解決の兆しが見えないことへの不安を訴えました。

 一方、滋さんは「家族で一緒に暮らせる当たり前の幸せを大切にしてほしい」と話しました。

 講演の後、生徒らがめぐみさんをテーマにした歌を合唱し、横田さん夫妻は目元をぬぐいながら歌声にじっと聞き入っていました。






■掲示板から書き込みを転記。

□北朝鮮がまだ拉致を認めていなかった頃、川崎駅前で署名運動を行っている横田夫妻を見たことがある。

 署名させて頂いたのだが、横を通る朝鮮高校の高校生が「嘘つき」 といいながら卵ぶつけて来たのを見て頭に来た。



 →なんとも、せつないなぁ。