■飛行機エンジンを製造する。



□日本は、先の大戦後、飛行機の製造が禁止された時代がある。

 それは戦時中の零戦などの名機の印象が強くて、戦後、日本に飛行機を造られたら…というアメリカあたりの恐怖によるものであろう。

 そんなことで、飛行機のエンジンについては、ロールスロイスとか技術的な格差が、その禁止期間の間についてしまって、なかなか製造ということができなかった。

 それが、2008年という戦後60年以上の期間が経過して、どうやら、日本も飛行機がまともに製造できるタイミングになったようだ。



■まず、新聞から抜粋。

 
三菱重工業は米航空機エンジン大手、プラット・アンド・ホイットニー(P&W)の中型・小型機向けの新型エンジン事業に参加する。

 開発費の5%程度を負担し、 中核部品の「燃焼器」を供給する。

 燃費や環境性能の向上が求められ、航空機エンジンの開発リスクが大きくなっている。

 IHIや川崎重工業を含め日本の航空機関連企業が、負担を軽減したい欧米のエンジンメーカーと共同で事業を進める動きが広がりそうだ。

 P&Wのほか、米ゼネラル・エレクトリック(GE)や英ロールス・ロイスなど世界のエンジンメーカーは一斉に次世代の中型・小型機用の開発に着手している。

 2015年前後の実用化を目指しているが、原油高に対応して燃費を改善し、 二酸化炭素(CO2)の排出量を抑制するために、新技術の開発やエンジンの構造の見直しが求められている。






■感想など


 
まだ、下請けといえば下請けなのだろうが、それでも日本ができる可能性は高い。
 ぜひ、頑張ってもらいたい。


□少し、辞書から戦後の日本の飛行機製造の歴史を振り返ってみたい。

 第二次世界大戦後の日本の航空活動■

 1945年(昭和20)8月、日本は第二次世界大戦に敗れて、航空輸送、航空スポーツ、航空機の生産、その他いっさいの航空活動を禁止されたが、52年春、連合国との間の講和条約が発効し、日本の航空活動はすべて自由になった。

 しかし、初期の自衛隊の機材はアメリカからの貸与やライセンス生産が主で、国産機は少なかった。

 51年10月、国内線の航空輸送が再開されたが、これに使う輸送機もほとんどがアメリカなどから輸入したもので、国産機はまったくなかった。

 58年、戦後初めて国産輸送機を独力で開発することになり、開発の中心となった輸送機(Y)設計(S)研究協会のローマ字の頭文字をとってYS‐11型と名づけられた。

 機体の設計製作は日本航空機製造によって行われ、1962年8月に初号機初飛行、65年4月から国内線に就航した。

 イギリス製ロールス・ロイス2660馬力ターボプロップの双発機で、馬力のわりに乗客数は60〜64人と多いこと、離着陸滑走距離が1200メートル以下と短いことなどから、経済的な短・中距離輸送機として好評で、180機が生産され、海外へも多数輸出された。→YS‐11

 YS‐11に次ぐプロジェクトとしては、アメリカのボーイング社などと共同(アメリカ70%、日本、イタリア各15%)した、第四世代ジェット機といわれるボーイング767双発ジェット輸送機(211〜285席)への開発参加がある。

 同機は1982年以来、世界各地の定期航空路に就航している。

 また、最新式のターボファンエンジンの国際共同開発についても、日本は23%のシェアで(アメリカ30%、イギリス30%、旧西ドイツ11%、イタリア6%)、150席クラスの民間航空機用ターボファンV2500の開発に参加し、1988年に型式証明を取得した。

 同エンジンはヨーロッパのエアバスA320、アメリカのマクダネル・ダグラスMD‐90などの輸送機に装備されて世界各国で使われている。

 機体では767に続き、より大型の双発ジェット輸送機ボーイング777(305〜400席)の開発にも、日本が約21%のシェアで参加した。
 同機は1995年から、世界各地の路線に就航している。

 一方、1977年以来、科学技術庁航空宇宙技術研究所(現宇宙航空研究開発機構)が、川崎重工業、石川島播磨(はりま)重工業などの国内民間企業の協力を得て開発を続けてきたファンジェットSTOL(エストール)機(短距離離着陸機)飛鳥が、85年に初飛行した。

 この機体は、強力な高揚力装置の威力により、総重量38.7トンの四発ジェット機であるにもかかわらず、離陸距離680メートル、着陸距離480メートルという優れたSTOL性能をもっている。

 飛鳥は、いますぐ実用される機体ではなく、将来いろいろな機種への応用が望まれる技術の研究機である。