■ルノワール…



■絵画を修復する人からの記事があった。


□新聞の記事から、抜きがきしてみよう。

 
ルノワールがしばしば描いた女性の肌が陶板のように滑らかでつるつるとしていたことだ。

 「足をぬぐう水浴の女「を所蔵美術館の展示室で見た時も思わず目を間近まで近づけてしまった。

 ある時、履歴を知って納得した。

 ルノワールは出身地のリモージュで、一時期、磁器の絵付けの職人をしていたのだ。

 絵付けは、数度にわたって焼く途中、絵の具を一筋すつ丁寧に乗せていく緻密な作業の連続だ。

 ルノワールは女性の肌を描く際に、毛先が柔らかい筆をカンバスにそっとなでるようにあてていたと考えられる。

 テンの毛で作ったやわらかくてコシのある筆で、筆の痕跡が見えなくなるほど丁寧に描くと、ルノワールの作品のような仕上がりになる。




□感想など

 
昔、読んだ本の中でルノワールという人は、弟子達に「絵筆で愛撫するように描け」とかいったと書いてあったのを思い出した。

 上掲の記事となにか通ずるものがありそうだ。

 ルノワールという人を理解する上での「ヒント」になりそうだ。






■Wikipedia で検索し、概要を記述する。

 ピエール=オーギュスト・ルノワール (Pierre-Auguste Renoir、

 1841年2月25日 - 1919年12月3日)はフランスの印象派の画家であり、その作品は日本でも広く知られている。

(後期から作風に変化が現れ始めたので稀に後期印象派の画家とされることもある。)

 フランス中南部のリモージュにて生まれる。3歳の時、一家でパリに移住する。 

 13歳で磁器の絵付職人となるが、産業革命、機械化の影響は伝統的な磁器絵付けの世界にも影響し、職人としての仕事を失うこととなったルノワールは画家を目指した。

 1862年にはエコール・デ・ボザール(官立美術学校)に入学。のちグレールのアトリエ(画塾)に入り、モネ、シスレー、バジールらと知り合っている。

 印象派展には1874年の第1回展から出品している。 他の印象派の画家たちと同様、風景画も制作したが、 特に人物を好んで描き、 裸婦像、少女像などを得意とした。

 1870年代から1880年代初頭にかけての作品は典型的な印象主義の作風によるもので、『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(1876年)、『舟遊びの人々の昼食』(1880−1881年)などがこの時期の代表作である。

 しかし、ルノワールは、1880年代前半頃から、光の効果におぼれ形態を見失った印象派の技法に疑問を持ち始める。

 1881年のイタリア旅行でラファエッロらの古典に触れてからはこの懐疑はさらに深まった。

 この時期、特に1883年頃からの作品には新古典派の巨匠アングルの影響が顕著で、明快な形態、硬い輪郭線、冷たい色調が目立つ。

 1890年代に入ると、ルノワール本来の暖かい色調が戻り、豊満なヌードを数多く描いた。

 1898年頃からリューマチ性疾患に悩まされ、晩年は車椅子で制作を続けた。

 ルノワールは日本にも早くから紹介され、その親しみやすい画風のためか愛好者も多い。

また、梅原龍三郎をはじめ多くの画家に直接・間接に影響を与えている。




□蛇足 添付してあった絵も。