このあたりから、コーカソイドとモンゴロイドの文明の衝突という様相を帯びてくる。


◆ところが、対米英戦がはじまると、下士官や兵士の層ではぴたりと不祥事がなくなる。
 この違いは、戦争目的にあるのではないか。

 対米英戦は、「自存自衛」の戦いだと国民の末端まではっきりと理解できた。
ここで負けると日本という国はおしまいだぞ…と思ったからこそ、あの一糸乱れぬすごいエネルギーが溢れ出たのではないでしょうか。

 
→確かに、日本人の性癖として論理を突き詰めることに弱いとか、情緒的だとか…ある。
 しかし、記事にあるごとく「ここで負ければおしまいなのだ」…という意識が国の隅々までいきわたっていた…ということを押さえておかなければ、他のことを見誤ってしまう気がする。

日本近代史の最大の問題は、中国人も含めあらゆる勢力から、日本の力を正しく評価されたためしがないことです。

 対米英戦だけでなく、戦後の高度成長や、日露戦争もそうですね。
 どうしてかというと、彼等の問題でもあるけれど、われわれが等身大の能力や姿を発信できていないからでしょう。


◆どうも、日本人はじっくり腰をすえて守るのが苦手なんですね。最前線に出ていないと守りきれないと思って、前へ前へと出てしまう。

 軍事的にいうと「攻勢の限界点」を越えています。
 その失敗を弁えることが、あの戦争の最大の教訓だと思います。

◆攻勢の限界点については、陸軍の勉強会でおずいぶん研究していたようです。…略…
 でも、現実の作戦ではまったく考慮されていない。

 これは日本型組織の問題なのかもしれませんが、
本音はいわないままで、お互い少しずつ目標値をあげていくうちに、いよいよ収拾がつかなくなる。虚構が肥大化する、という癖があるように思います。


 →イギリスに在住する日本女性のブログを読んでいると、「日本人の男性は謙虚だから…」という言葉が出てくる。
 イギリス人の男性より、日本人の男性…例えばたそがれ清兵衛…のような感じの人のほうが付き合いやすい…という言葉が続く。

 上掲の日本人の等身大の能力、姿を発信するにしても、この謙虚さが裏目にでる…ということがありそうだ。
 しかし、これは良い悪いということではなく、致し方のないことではあるまいか。
 
 そういえば、10年くらい前か、ある外国人女性が日本には「マンガしか外へ出すものがあるまい」…と軽侮した感じで外国人による弁論大会で話していたことを思い出した。
 しかし、現在は外国でも日本のマンガ、アニメは大流行している。

 この女性にモノの価値をみる目がない…ということではあるまい。
 外国のモノの価値が分かるためには、人種偏見とかいうメガネをとりさり、「慣れる」ための時間が必要だということではあるまいか。
 先の大戦前では厚い人種偏見というものが、外国人からの目を曇らせていたのだろう。


日本が、「アジアの植民地解放」を唱えたのは、もちろん開戦後の後づけなんですが、しかし、日本軍が必死に物狂いで戦ったために、中国とイギリスの間、あるいは英米間に植民地の独立をめぐる軋轢がおきて、事態が変わったのも事実です。

 日本軍の必死さは、「自存自衛」から生まれておりましたが、結果として世界地図を変えた。

◆日本には、勝利を信じている人はいても、国家戦略を考える人がいなかった。
 昭和18年の11月に大東亜会議を開催して、「アジアの解放」を決議し、日本の国策としたにもかかわらず、口でいうだけで、戦略はともなわなかった。

 大体アジア各地で宣撫工作程度のことしかしていません。

◆でも、実際のところ、牟田口司令官はインドの独立はどうでもよくて、自分の勲章ほしさでインパール作戦にのりだしたんです。
 東條英機は、チャンドラボースへの義理で、誰もが反対する作戦を許可したという。
 …中略…
 東條がお風呂に入っているときに外からひたすら頼まれて、のぼせちゃったのか、思わずインパール作戦を許可する…と。