■フランダースの犬   
… ベルギー・アントワープ市の観光 



□始めに。

 フランダースの犬…という物語は日本では有名だが、その舞台となったベルギーではまったく知られていなかったそうだ。

 1980年頃から、急に日本人観光客が来はじめてビックリ。

 そこから、観光の目玉作りがはじまったのだが…。

 そこらあたりに触れた文章があった。ご紹介したい。末尾で筆者の感想を述べたい。



■ノートルダム大寺院に近いマルクト広場にある観光案内所を訪ねると、なるほど「ネロとパトラッシュの散歩道」というタイトルの日本語の地図入りパンフレットをくれる。

 その最初のページに、こう書いてある。

 「日本では既に児童文学の古典とされ、アニメーション映画化もされて広く知られたこの『フランダースの犬』の物語は、地元フランダースではこれまで誰一人知るものもなかったのです。」

 ベルギーの人たちは、イギリス人の小説なんて長く関心がなかったらしい。

 ところが、小説が書かれて100年以上経った1980年代になって、日本からお金持ちの若い女性たちが続々と観光旅行にやってきては、「ネロとパトラッシュの家はどこですか?」 と観光案内所でたずねるようになった。

 おそらく彼女たちの多くは小説よりもアニメーション映画で、少年と犬のことを知ったのだと思われる。

 それで地元の人たちはびっくりした。

 わけを聞いて、はるばる日本から来る人たちの夢を壊してはいけない、と考える人も出てきた。

 同時に、これは日本人相手にいい商売ができる、と思ったかもしれない。

 たしかにアントワープは美しい街だが、大寺院の伽藍とルーベンス(1577〜1640)の絵くらいしか見るものがなく、それでは若い女性をひきつけることなどできなかったのだから。

 地元では急いで少年と犬の故郷探しが始まった。

 小説には、 「東北のかなたに、アントワープの大伽藍の先頭がそびえている」と書いてある。
 その方角をもとに、ネロの貧しい小屋があったのは、現在の同市ホーボーケン区と決められた。

 そして区の観光局の建物の前に、立った少年が座った犬の頭に手をやっている銅像が立てられたのだ。

 「1985年2月27日、ベルギー駐在日本大使とアントワープ市長の手により、この像の除幕式が華やかに行われました。」 パンフレットにはそう記されている。

 像からさして遠くない場所には、粉屋の娘アロアにちなんで、ミニチュアの風車が再建された。

 念の入ったことに区当局は、物語が書かれた1872年当時の住民登録を調べてみた。

 すると、まぎれもなく村にはそのころ大きな風車があり、それを使っていた粉屋にも、 「やはり一人の娘があり、物語と同じようにちょうど12歳でした。」

 日本語のパンフレットは、ネロとパトラッシュが牛乳配達のためと追った道を中心に、教会や寺院、公園などを写真入で紹介したガイドブックになっている。

 ネロが観覧料を払えず見ることができなかったというルーベンスの絵は、ノートルダム大聖堂に実在している。

 パンフレットによると、「絵には100年前まで幕がかけられていました。

 そしてこの絵を見たい人は、特別に料金を支払わなければなりませんでした」 小説には、この点に関しては正確な事実が書かれていたことになる。

 パンフレットには、次のような日本人への謝辞で結ばれている。

 「
日本の方々は、ベルギーの人々にこの物語を紹介してくださったばかりでなく、それに関連して、さまざまなホーボーケンの歴史的事実にも目を向けさせてくださいました。








■まとめ、感想など

 核心はフランダースの犬というアニメが傑作であったことだろう。

 同じようなことは、アルプスの少女ハイジでもあるようだ。

 スイスにはハイジの家も銅像も立っているのだとか。

 なお、このルーベンスの絵を天皇陛下がこの聖堂を訪問された時にご覧になられ、フランダースの犬との関連を話されたそうだ。

 そして、そのことがベルギーにおけるフランダースの犬というアニメの価値を決定的にしたのだとか。

 
■アニメの傑作は、観光地すらも作ってしまう。